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2025年11月17日 礼拝説教 「今度はあなたが赦す番」

  2025 年 11 月 17 日 礼拝説教 「今度はあなたが赦す番」 マルコによる福音書 2 章 1 節~ 12 節 1節                   数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、 2節                   大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、 3節                   四人の男が中風の人を運んで来た。 4節                   しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 5節                   イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 6節                   ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。   7節  ...

2025年11月10日 礼拝説教 「清くなれ」

  2025 年 11 月 10 日 礼拝説教 「清くなれ」 マルコによる福音書 1 章 40 節~ 45 節 40節          さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。 41節          イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、 42節          たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。 43節          イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、 44節          言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」 45節          しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。 イギリスのダイアナ妃が交通事故で亡くなってから二十八年になります。これは当時の皇太子、今のチャールズ国王との離婚と、エジプト人の大富豪の息子、 ドディ・アルファイド との関係がメディアで騒がれている最中のことだったので、世界中に大きな衝撃が走りました。イギリスの王室の最初の反応は冷たかったです。ダイアナ妃の死を悼む声明を発表したものの、王室を自分から出て行った人なので、国として特別なことをする必要がないというスタンスを取りました。しかし、当時のイギリスの首相、トニー・ブレアーは「あの方は庶民のお姫様 (T...

2025年10月27日 礼拝説教 「熱病のいやし」

  2025 年 10 月 27 日 礼拝説教 「熱病のいやし」 マルコによる福音書 1 章 29 節~ 39 節 29節        すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 30節        シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 31節        イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 32節        夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 33節        町中の人が、戸口に集まった。 34節        イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。 35節        朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 36節        シモンとその仲間はイエスの後を追い、 37節        見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 38節        イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 39節          そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。  マラ...

2025年1月31日 3学年終業礼拝 「勇気を出しなさい」

  2025 年 1 月 31 日  3 学年終業礼拝 「勇気を出しなさい」 ヨハネによる福音書 16 章 33 節 「 あなた方には世で苦難がある。 しかし、勇気を出しなさい。 わたしは既に世に勝っている 。 」 キリスト教との出会いを聞かれたら、「入学して気が付いたら聖書を持たされ、讃美歌を歌わされていた」と答える卒業生が多いと思いますが、教会に通っている日本のクリスチャンの多くは、「休ませてあげよう」というイエス様の言葉に惹かれ、心の安らぎを求めて通い始めたと言います。昔も今も、生活に困っている人は、心を落ち着かせるイエス様の優しいメッセージに惹かれてついて行きます。しかし、対照的に、周囲を固めるコアのメンバー、つまり、世の中を変え、神の国を実現させようとする実働部隊に、イエス様は最初に上げた、覚悟を促す、厳しい言葉を与えました。 毎日のように礼拝堂への入退場を繰り返した卒業生の皆様は、聖書にある十字架と復活に特別な意味があることに気が付いたと思います。この二つはセットになっていて、片方だけでは成立しません。キリスト教では、十字架の苦しみのない復活がなければ(苦難がある)、復活の希望がない十字架もありません(既に世に勝っている)。心の安らぎを得るのが出発点であっても、イエス様を信じる人のそれからの人生は、十字架と復活の狭間に立って過ごすものであり、甘ったれた人間にはお勧めできません。 信仰の話をしなくても、十字架と復活の原則はいたる所に見られます。人生の最初の一日を考えてみてください。誰も、自分の誕生の瞬間を覚えていません。仮に覚えていたら、トラウマとして残りそうで、記憶にないのは幸せなことかもしれません。出産はお母さんにとって大変なのは何度も聞かされてきました。しかし、誕生の主人公のである私たちにも大きな苦労がありました。住み慣れたお母さんの暖かいお腹から、狭い産道を下って冷たい外界に押し出されました。幼い私たちにとって、何と恐ろしい体験だったことでしょう。 出産は子供の人生の最初の受難であり、最初の十字架です。新生児の意見を聞けるなら、いつまでもお母さんのお腹にいたいと言うでしょう。どのような意味があって、誕生という苦行に耐えなければならないでしょう。今の私たちから見ると、その答えは明白です。誕生の先に光があり、成長...

2024年1月31日 3学年終業礼拝 「水の上を歩く信仰」

  2024 年 1 月 31 日 3学年終業礼拝 「水の上を歩く信仰」 マタイによる福音書 14 章 26 節~ 32 節 「弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。 「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。」 個人的に言うと、イエス様の奇跡物語の中で、一番引っかかるのはこの話です。イエス様は奇跡を行う力を、病人を癒したり、死人を蘇らせたり、お腹を空かせた人にパンを与えたりするために使いました。お金儲けをしたり、敵を倒したり、人の注目を集めたりするためには使いませんでした。公の活動を始める前のイエス様に、不思議な力があることに気付いた悪魔は、色々な手を使って、その力を悪用させようとしました。 その内の一つは、「高い建物から飛び降りて注目を集め、一瞬の内にスターになれ」という唆しでした。イエス様は与えられた力を、意味のない子供じみたショーのネタにするつもりはなく、きっぱりと断りました。神様から与えられた力を見せびらかすことなく大事にし、その使い方に慎重な姿勢を貫き通しました。 そのようなイエス様がここで何故、水の上を歩くようなことをして、弟子のペトロにも同じことをさせたのでしょうか。弟子たちをびっくりさせる目的のイタズラだったのでしょうか。この奇跡に一体、何の意味があったのでしょうか。私はこう思います。その時のイエス様は、弟子たちにわからない大事な事を知っていました。彼らと過ごせる時間は後わずかで、自分がいなくなってから、弟子たちがとても困難な目に合う事になっていました。 この場面を見たのは弟子たちだけで、他には誰もいませんでした。それから、一見は絶望するしかいないと思えるような現実に向き合うことになる彼らに、イエス様が教えて...

2023年1月31日 3学年終業礼拝 「ときが巡って結ぶ実」

2023 年 1 月 31日   3 学年終業礼拝 「ときが巡って結ぶ実」 詩編 1 編 3 節 「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡りくれば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。 「この木のリンゴは最高!」と言って自慢する農家の言葉を聞いて、そばにいる人は反論しました。「でも、まだ青くて小さいですよ。」農家は答えました。「それは収穫の時期がまだまだ先だからですよ。今の時期の出来栄えとしては最高!」 高等学校からの卒業を迎えようとする皆様にどのような時が巡ってきたでしょうか。お金で売れる物を生産したことがなく、これまでの努力のすべてが「これからの実り」への投資だと思うと、社会人生活への道のりはとても長い物です。皆様の教育はこれまで四つの段階を経て、進学する卒業生は五つ目の段階に進もうとしています。まずは幼稚園・保育園から始まりました。そこで家庭内の自分と違った集団の一員となり、社会生活の最も基本的なことを学びました。規則を守りながらご飯を食べたり、お絵描きをしたりしながら、他の子供と仲良く遊ぶことを学びました。 小学校で同じような学びの続きもありましたが、その他に文明社会の一員に欠かせない、読み書き算数の力を身に着け、書き言葉による意思の疎通と基礎的な計算ができるようになりました。義務教育は中学校で終わりました。卒業すると高等学校に進むのが常識だったので、義務教育の修了についてあまり考えなかったかもしれません。しかし、大人になってから中学校の教科書を読み返すとわかります。世の中で本当に役に立つ、必要不可欠な知識のほとんどは中学校の教科書に書いています。つまり、中学校で教えられたことをしっかり覚えていれば、高等学校に行かなくても社会人として何とかやっていけたということに気づきます。 では、高等学校に入ってから何を学んだでしょうか。中学校で身に付かなかったことを学び直す延長戦になった場合もあるでしょう。最悪のケースとして、社会が大人として受け入れてくれる十八歳になるまでの時間つぶしになったかもしれません。しかし、高等学校普通科教育の本来の意味は、その先にあるエキスパートや専門家を育てる大学や専門学校で学ぶための土台作りにあります。専門的な知識や技能を教える高等教育機関で学ぶなら、中学校レベルの知...

2022年1月31日 3学年終業礼拝 「変わりゆく世相に備えて 強くなりなさい」

  2022 年 1 月 31 日  3 学年終業礼拝 「変わりゆく世相に備えて 強くなりなさい」 ルカによる福音書 22 章 36 節 「・・・剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。」 政治家は選挙の時に投票してもらえないと政界から追われるので、有権者の支持をとても大事にします。そのため、選挙演説で不快感を与えるかもしれない本音を隠し、万民に受けの良い話をしようとします。このような話は問題の本質を避け、深みのないものになる傾向があり、選挙以外の時に政治家の話を聞きたいと思う人はあまりいません。面白い話をするのは、当選するか否かをあまり気にしていない政治家です。本当の事を聞くと心が傷つく人が多いので、真実を語るにはいつもリスクがあります。  かつて、奴隷解放や拷問の禁止など、絶対的な価値観に関わる政治課題がありましたが、近ごろの政治家の議論を聞いていると、白黒がはっきりしているものは少なくなっています。大きく分けると、強い国家の実現を優先させるか、国民の日常的な暮らしを優先させるかの議論です。どちらも必要なので、結局はバランスの取り方の問題です。私は信仰を基準に投票することが多いです。政治家を宗教で選ぶという意味ではありません。しかし、誰よりもナザレのイエスの生き方を理想にしているので、「現代の日本社会にナザレのイエスがいたら何を言うだろうか。」と考えながら、政治家の話を聞きます。  多くはいませんが、時々、「この政治家にイエス様の姿が重なって見える。」と思うことがあります。新約聖書時代もそうでしたが、そのような人物が現れると都合の悪い人もいます。そのため、足を引っ張り、誹謗中傷する人が現れます。イエス様が最終的に十字架に付けられたのと同じように、政治的に抹消されることが多いです。しかし、非難を恐れないで語り続ける勇気があるなら、聞く人の心に真実は響きます。選挙に負けてもメッセージの要点が伝わり、次の機会に活かされます。有権者になる皆さまに、政治家を正しく見分ける目を養って欲しいと思います。 スポーツの試合と政界の選挙に、似ている部分がたくさんあります。どちらにもポイントを奪い合う競技者がいます。点数に差が開く場合もあれば、接戦になる場合もありますが、一点でも多い方が勝ちます。審判が結果を告げると勝者は喜び、敗者はいくら悔...