2023年1月31日 3学年終業礼拝 「ときが巡って結ぶ実」
2023年1月31日 3学年終業礼拝
「ときが巡って結ぶ実」
詩編1編3節
「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡りくれば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
「この木のリンゴは最高!」と言って自慢する農家の言葉を聞いて、そばにいる人は反論しました。「でも、まだ青くて小さいですよ。」農家は答えました。「それは収穫の時期がまだまだ先だからですよ。今の時期の出来栄えとしては最高!」
高等学校からの卒業を迎えようとする皆様にどのような時が巡ってきたでしょうか。お金で売れる物を生産したことがなく、これまでの努力のすべてが「これからの実り」への投資だと思うと、社会人生活への道のりはとても長い物です。皆様の教育はこれまで四つの段階を経て、進学する卒業生は五つ目の段階に進もうとしています。まずは幼稚園・保育園から始まりました。そこで家庭内の自分と違った集団の一員となり、社会生活の最も基本的なことを学びました。規則を守りながらご飯を食べたり、お絵描きをしたりしながら、他の子供と仲良く遊ぶことを学びました。
小学校で同じような学びの続きもありましたが、その他に文明社会の一員に欠かせない、読み書き算数の力を身に着け、書き言葉による意思の疎通と基礎的な計算ができるようになりました。義務教育は中学校で終わりました。卒業すると高等学校に進むのが常識だったので、義務教育の修了についてあまり考えなかったかもしれません。しかし、大人になってから中学校の教科書を読み返すとわかります。世の中で本当に役に立つ、必要不可欠な知識のほとんどは中学校の教科書に書いています。つまり、中学校で教えられたことをしっかり覚えていれば、高等学校に行かなくても社会人として何とかやっていけたということに気づきます。
では、高等学校に入ってから何を学んだでしょうか。中学校で身に付かなかったことを学び直す延長戦になった場合もあるでしょう。最悪のケースとして、社会が大人として受け入れてくれる十八歳になるまでの時間つぶしになったかもしれません。しかし、高等学校普通科教育の本来の意味は、その先にあるエキスパートや専門家を育てる大学や専門学校で学ぶための土台作りにあります。専門的な知識や技能を教える高等教育機関で学ぶなら、中学校レベルの知識ではとてもついて行けません。
もっと正確に言うと、昔はついて行けないことになっていました。大学の全入時代が始まり、新入生が中学校レベルの知識しかなく、高等学校のカリキュラムの内容を習得していないと嘆く大学の先生の声を聞くようになりました。博士号や修士号を持つ先生方は、自分たちと同じレベルで高度な研究ができる学生を育てたいのに、それができなくなった大学が増えています。
戦後の日本社会で、大学の他に企業が教育機関として機能したことが、日本の優位性を保つのに大きな貢献をしてきました。大学で何も学んでいなくても、入試の偏差値が能力を保証すると見て企業は一斉に新卒採用を行い、自ら社員に必要な知識や技術を伝授してくれました。一度、採用されたら定年まで立場が保証され、実績とあまり関係がない形で毎年、給料が上がって行きました。
日本は「国の経済が資本主義だが、企業は社会主義だ」と言われてきたのはそのためです。集団に勢いがあって協力的であれば、社会主義の下で経済が伸びる例もあります。日本の企業は、戦争中に育った、自己犠牲に耐えながら頑張れる社員集団に支えられていた内はこれで上手く行きました。バブル崩壊から十年たった二十数年前の日本も、一人当たりのGDPはアメリカより高く、世界のトップを争う位置を守っていました。皆様が卒業する、今年のデータを見ると、状況が一変したことに気付くと思います。一人当たりのGDPはアメリカの三分の二に落ち、五十年前はとても貧しい国だった韓国と台湾に追い越されました。
この二十年の流れを見て危機感を感じている日本人が多くいます。「日本が豊かになってから育った世代は、有名大学や一流企業に入ったら一生安泰だと思い込んでいるから、国の経済の競争力が落ちた。新しい価値を産めるように国民を競争させないと、日本経済はますます低迷し、皆の生活がますます苦しくなる。」このように警鐘を鳴らす人が多くいます。確かに、経済関連の統計を見る限り、この意見にかなりの信ぴょう性があります。
その一方、諸外国を回ってから日本に戻る人たちから違う意見をも聞きます。「急成長している国に比べると、経済に勢いがないのは確かだが、日本はまだ捨てたものではない。町並みは清潔で、皆がそれなりに快適な暮らしをしている。国民医療は整っていて治安もよく、生活環境は静かで住み心地が良い。これでも国としてのGDPはアメリカ、中国に続く世界三位ではないか。特に焦ることはない。このままで良いのではないか。」
我々日本人は「ときが巡りくれば実を結び、葉もしおれることがない」国としての位置を保っているのでしょうか。今の日本は、戦後の復興に奔走した先輩たちが理想としている姿になっているでしょうか。恵まれた環境に満足して感謝さえすれば良いのでしょうか。黒船来航の以前の日本人も、それなりに幸せな暮らしをしていました。徐々にあの時代の立ち位置に戻りそうな気配もしますが、それも一つの豊かな実りと見ても良いのでしょうか。
国の歩みについて考えても、私たちに個人としてそれを変える力はほとんどありません。しかし、一個人として、今めぐって来た時にふさわしい実を結んでいるかについて考える必要があります。過ぎた時間を悔やんでも仕方がありません。人間はそもそも、能率良く作動する機械ではなく、時間を無駄にして仕事を先に延ばし、集中力を維持できない、だらしのない存在です。しかし、そのような自分だと悟りながら次の段階に進むことができます。
まずは、自分の価値観をしっかりと確認するのが大事なことだと思います。今の生活環境の中で平和に暮らし、減速する社会に合わせて生きる覚悟ができているなら、周囲の人たちに合わせ、長く続けられるペースを維持しながら、あまり無理をしない生き方を心がけるのが良いでしょう。人生の終わりが近づくと、人間が最後に幸せで健康に生きられることを最も確実にする要素は、良い人間関係の輪を築くことだと聞きます。同じ場所に長くいて、仲間を大事にしながら、友だちと呼べる人を一人でも増やして行くのが良いことでしょう。
その一方、最先端を走って「ジャパンアズナンバーワン」の夢を追い続けるなら、無駄にできる時間はありません。日本国内に留まるなら最低条件は、世界から優秀な若者が集まる場所を求め、彼らから刺激を受けられる環境に身を置くことです。一斉新卒採用に目もくれず、国境も会社の枠をも超え、一般企業の初任給の数倍の収入が手に入る条件を満たす知識や技能を身に着けてください。国内で活動を開始するのも良いですが、どこかの段階で、国外の空気に触れる機会を求めるのは不可欠だと思います。
最初に出した聖書の言葉に出て来る「実を結び、葉もしおれることがない」「その人」とはだれのことでしょうか。三節の前にある詩編一編の一節と二節にその答えがあります。「神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪あるものの道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。」毎朝、東奥義塾の礼拝堂に集まって静かな一時を過ごして来た皆様に当てはまる言葉だと思いたいです。
卒業の時が巡り、葉もしおれることなく、実を結んだ皆様が、これからも前を進みながら、多くの実を結ぶことを願います。ご卒業、おめでとうございます。
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