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2026年5月1日 礼拝説教 「コリント伝道物語」

 コリント伝道物語 コリントの信徒への手紙一2章1節~5節 1節 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れ た言葉や知恵を用いませんでした。 2 節 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、 イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい と心に決めていたからです。 3 節  そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 4 節 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、 “ 霊 ” と力の証明によるものでした。 5 節 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。 聖書に登場する人物の中で、パウロほど堂々としている人はいません。イエス様には及びませんが、使徒言行録を読む限り、激しい憎しみにも、集団暴力にもひるむことなく、少しも弱さを見せなかったのはパウロです。十字架と復活から約二十年たってからギリシャ入りしましたが、「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています」と訴えられ、暴動が起きました。騒ぎが大きくなり、命が危ないと判断すると次の街に逃げましたが、どこに行っても同じ事が起こりました。パウロの一つ一つの行動に犯罪性はありませんでしたが、平穏を望む当局者には、自分の街に来てほしくない、厄介な存在でした。 どこに行っても、パウロの伝道活動の拠点となったのはユダヤ人の会堂でした。パウロが活動していた頃のローマ帝国の都市人口の一割程度は商人や職人として活躍するユダヤ人でした。その傍ら、ユダヤ教を守るのに熱心で、本国のユダヤ人と同じように国民を救うメシアの登場を待ち望んでいました。ギリシャ語で学ぶヘレニズムの教育の他に、ヘブライ語で学ぶユダヤ教の教育も受けたパウロにとって、ギリシャ語圏にあるユダヤ人の会堂はホームグラウンドのようなもので、一目置かれる存在として迎えられる場所でした。 各地のユダヤ人はパウロの信仰と教養に感心し、耳を熱心に傾けてくれました。旧約聖書に精通していたパウロの話は十分に納得できるものでした。しかし、話の途中から意外な方向に進みだすので、戸惑いもありました。「ユダヤ人が求めるメシアは既に来た。それは十字架にかかって死んだ後に復活したナザレの人、イエス...

2026年4月15日礼拝説教 「百倍の実り」

  2026 年 4 月 15 日礼拝説教 「百倍の実り」 マルコによる福音書 4 章 2 節~ 8 節、 14 節~ 20 節 2節                   イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 3節                   「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 4節                   蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5節                   ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 6節                   しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7節                   ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 8節             ...

2026年3 月31日礼拝説教 「初めにロゴスがあった」

2026 年 3 月 31 日礼拝説教 「初めにロゴスがあった」 ヨハネによる福音書1章1節 「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」 最後の福音書の著者であるヨハネは、生身のイエス様の生き証人でした。この福音書とは別に書き記した第一の手紙の冒頭にこのように言っています。「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものをお伝えします。」呼吸の音と体の温もりまで伝わる、身近な存在としてイエス様と触れ合った人間であることを強調しています。しかし、イエス様を正式に紹介する、この福音書を始めるに当たって、地中海社会の知識階級に馴染みがある「ロゴス」という言葉を使いました。 これはその当時の、教養ある人たちの大半に通用する一般的な概念でした。宇宙に秩序を与え、すべての物の存在を支える基本原理があると信じられ、それを「ロゴス」と言いました。万物のソフトウェア、宇宙の設計図とも言える「ロゴス」が、意識がない物質に働きかけ、自分のコピーとして自然界を造ると考えられていました。 イエス様がイスラエルで活躍していたのとほぼ同じ時期に、エジプトにある学問の都、アレキサンドリアにフィロンというユダヤ人がいました。後世の思想に大きな影響を及ぼしましたが、ギリシャ人が教える「ロゴス」を旧約聖書の中に発見しようとしました。 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いた。神は言われた。『光、あれ。』」フィロンはここにある「神の霊」と「神の言葉」こそ「ロゴス」であると教えました。「ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった。このロゴスは初めに神と共にあった。万物はロゴスによって成った。成ったもので、ロゴスによらずに成ったものは何一つなかった。」ヨハネのここまでの言葉は、フィロンの考えとほぼ一致していました。フィロンは言っていました。「唯一の真の神を太陽に例えるなら、ロゴスはその太陽から放たれる光だ。二つの存在は別々に思えても、本質は一つである。」 福音書の1章を書くヨハネはしばらく、フィロンの思想に沿った形で「ロゴス」の説明を続けますが、 14 節に入ると、フィロンを初めとする知識人を仰天させる、とんでもない主張を始めます。「ロゴスは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た...

2026年2月16日礼拝説教 「種を蒔くのは諦めずに」

  2026 年 2 月 16 日礼拝説教 「種を蒔くのは諦めずに」 マルコによる福音書 4 章 1 節~ 9 節 1節                   イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 2節                   イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 3節                   「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 4節                   蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5節                   ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 6節                   しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7節       ...

2026年2月1日礼拝説教 「だれのための安息日」

  2026 年 2 月 1 日礼拝説教 「だれのための安息日」 マルコによる福音書 2 章 23 節~ 3 章 6 節 23節            ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 24節            ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 25節            イエスは言われた。・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27節            「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 28節            だから、人の子は安息日の主でもある。」 3 章 1節                イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 2節                人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 3節                イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 4節   ...

2026年1月19日礼拝説教 「断食の時と婚礼の時」

  2026 年 1 月 19 日礼拝説教 「断食の時と婚礼の時」 マルコによる福音書 2 章 18 節~ 22 節 18節              ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 19節              イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。 20節              しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。 21節              だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。   22節              また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」   この当時、ぶどう酒は、ガラスの瓶ではなく、動物の皮でできた袋に入れて持ち歩きました。発酵が終わっていない、新しいぶどう酒を入れると、発酵過程が続くので、皮袋が膨張しました。固くなった古い革袋なら、破れてしまう危険性があったので、この場合は、伸び縮みしやすい、新しい皮袋を使いました。  私の両親の世代が子供の頃、衣類の多くは、...

2025年12月8日 礼拝説教 「罪人を招くイエス様」

  2025 年 12 月 8 日 礼拝説教 「罪人を招くイエス様」 マルコによる福音書 2 章 13 節~ 17 節 13節          イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。 14節          そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 15節          イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。 16節          ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 17節          イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」  新約聖書には、二つの名前を持っている人が多くいます。ここに登場するレビもその一人です。レビは、マタイによる福音書を書いたマタイだと言われています。レビのイエス様との出会いは、これまでの人たちと同じように、当時の社会常識をひっくり返すものでした。 レビは、イスラエルという国を占領する、嫌われ者のローマ人に代わって、同国民から税を集めて私腹を肥やしている人でした。次のような推測ができます。レビにとってお金はとても大事なものでした。自らこのような仕事を選ぶ人は、イスラエル社会の底辺にいる外国人同様、一般市民に付き合ってもらえない人でした。職業に伴う恥を気にすることなく、村八分にされてもお金さえあれば満足...