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2018年10月3日 礼拝説教 「成功の要因」

2018 年 10 月 3 日礼拝説教 「成功の要因」 ルカによる福音書 10 章 21 節~ 24 節 21節              そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 22節              すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」 23節              それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 24節              言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 人の人生を成功と見なすかどうかはとても難しいことですが、一定以上のお金と地位を手に入れると、世の中では成功者と呼ばれるようになります。北米の研究者たちは昔から成功者になるための条件を求め、社会学と統計学のテクニックを使って、それなりに、成功者の特長を割り出せるようになりました。 最近の研究によると一番の要因は知能指数で、二番目は勤勉な性格だそうです。頭が良くて努力家なら成功するのは当然だろうと思うかもしれませんが、意外なことに、この二つの要因で説明できるのは、成功の要因の半分にも満たないそうです。ハーバード大学の研究者によると、知能指数が占める成功の要因の割合は 25 %程度で、性格的に勤勉であることは 10 %にしかならないと言います。約三分の二はそれ以外のことに原因を求めなければなりません。     もちろん、人の努力を称賛するのは大事なことで、このような研究成果を、他人の成功を皮肉る根拠にしたり、自分の怠け癖の口実にしたりしてはいけません。ただ将来、もし成功者と言われる地位に就くことがあるなら、自分の知恵と、自分の努力だけでそれを手にしたのではないという事実を、心のどこかに留めて置く必要

2018年9月25日 礼拝説教 「本当に喜ぶべきこと」

2018 年 9 月 25 日礼拝説教 「本当に喜ぶべきこと」 ルカによる福音書 10 章 17 節~ 20 節 17節              七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 18節              イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 19節              蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20節              しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」 七十二人が帰って来ました。九月の最初の礼拝を思い出してください。この人たちはイエス様の予備軍のような存在で、お金もなく、裸足のまま送り出された人たちでした。狼の群れに小羊を送り込むようなものだと言われた彼らは、イエス様の精鋭部隊ではなく、身分的には名前も記されていない、見習いでした。さんざんにいじめられ、傷ついた足をかばい、腹をすかし、泣きそうになって帰って来るかと思ったら、まるで逆のことが起こりました。 病人を癒しなさいと指示された彼らは、思いのほか、十二弟子も苦手な悪霊追い出しにも成功したので、有頂天になっていました。「この紋所が目に入らぬか。ここにおわす方をどなたと心得る。」と言わんばかりに、ナザレのイエスの名を名乗ると、敵がこぞって兜を脱ぐので、七十二人はとても気を良くしていました。この様子を見たイエス様は満足げに言いました。「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。」裸足で送り出した人たちに、蛇やさそりを踏みつけても害が及ばないと言ったイエス様は、彼らがあげた成果を聞かされ、悪魔の国の滅亡と、神の国の勝利を確信しました。 優勝トロイフィーを勝ち取った、子供のようにはしゃぐ弟子たちの姿を見て、イエス様は大満足でした。しかし、心配なこともありました。「喜ぶのは良いが、本当に喜ぶべきことを忘れてはいないか。悪霊の服従に気分をよくする前に