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Showing posts from October, 2020

2020年11月2日 礼拝説教 「栄光に先立つ日常」

                            2020 年 11 月 2 日 礼拝説教 「栄光に先立つ日常」 ルカによる福音書 19 章 11 ~ 19 節 11節              人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。 12節              イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。 13節              そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。 14節              しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。 15節              さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。   16節              最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。 17節              主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』 18節              二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。 19節              主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。 イエス様の周囲にいる人たちはそわそわしていました。長い巡礼の旅の終わりが見えていました。神殿がある目的地、エルサレムに着くと、イエス様がユダヤ人の王として迎えられ、神の国が実現するという期待が高まっていました。ダビデの王座を継ぐのにふさわしいお方を待ち望んでいたユダヤ人の多くは、ナザレのイエスを見て期待を膨らませていました。しかし、このような話に全く乗って来ないのは、当のご本人でした。イエス様は一つのたとえ話を用いて、付いて来る人たちを諭しました。 ローマ帝国は昔の中国と同じように、一つの地方を、地元の有力者に託し、「王」という称号を与え、ローマに代わって治めさせるこ

2020年10月19日 礼拝説教 「捜し求めるイエス様」

2020 年 10 月 19 日 礼拝説教 「捜し求めるイエス様」 ルカによる福音書 19 章 1 ~ 10 節 1節               イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 2節               そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 3節               イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 4節               それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。 5節               イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 6節               ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 7節               これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 8節               しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 9節               イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 10節           人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。 」  イエス様を一目見ようと木に登った背の低い、嫌われ者のザアカイが、通りがかったイエス様から「急いで降りて来なさい」と言われます。この滑稽な話は子供によく受けるので、教会の子供礼拝の定番になっています。エリコの町民は入り口に座って物乞いをする盲人が癒された事に驚き、町全体がイエス様を歓迎するムードに包まれています。町民たちの多くは「今夜は是非、我が家にお泊りください」と、競うようにイエス様を誘っています。 しかし、人気の絶頂にありながら、エルサレムに着くと十字架の刑が待っていると悟っているイエス様は、この盛り上がりに浮かれることなく、最後の最後まで、イエス様らしい行動を取ります。ザアカイが登っている木の下に

2020年10月12日 礼拝説教 「目が見えるようになりたい」

  2020 年 10 月 12 日 礼拝説教 「目が見えるようになりたい」 ルカによる福音書 18 章 35 ~ 43 節 35節              イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。 36節              群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。 37節              「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、 38節              彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。 39節              先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 40節              イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。 41節              「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。 42節              そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」 43節              盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。   春分の日の次に来る満月から始まる、ユダヤ教の最大の祭、過ぎ越しの祭が間近に迫っていました。方々から集まる巡礼者たちの、エルサレムへの集結が始まっていました。イエス様とその一行は彼らに交じり、エリコの町に入りました。巡礼の順路にあるこの町から、ゴールとなるエルサレムまでの距離は 25 キロくらいでした。弘前を目指して北上する人が県境を越えて碇ヶ関に入ったと想像すればイメージがつかめると思います。 国民感情の強いユダヤ人が一か所に集まり、民族意識が高まる時だったので、当局者たちはトラブルが起きないかと神経を尖らせていました。この年、特にマークされていたのは、ガリラヤ地方で人気を集めていた預言者、ナザレのイエスでした。 本人にはその気がなさそうでしたが、周囲にいる人たちの間で指導者として担ぎ、謀反を起こそうする気配が感じられ、当局のスパイたちに、常に見張られてい

2020年10月5日 礼拝説教 「すべてを捨てた人たち」

  2020 年 10 月 5 日 礼拝説教 「すべてを捨てた人たち」 ルカによる福音書 18 章 28 ~ 34 節 28節                するとペトロが、「 このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました 」と言った。 29節              イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、 30節              この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」 31節              イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 32節              人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 33節              彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」 34節              十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。 前回は財産を手放せなかったため、イエス様の弟子になれなかったお金持ちの話をしました。お金持ちが弟子になるのは大変なことだという結論が出ましたが、それまで話を聞いていたペトロは黙っていられなくなりました。「お金持ちに同情するのも良いが、私たちも大変だったよ。」努力を認めてもらえない子供が憤慨するかのように、ペトロは何もかもを捨てて弟子になった、自分たちの犠牲と覚悟の大きさをイエス様に訴えかけました。 新約聖書の中で、ペトロほど生々しい形で性格の描写を受ける人はいません。とても衝動的で、思ったことをすぐに口に出し、思いついたことを考えずに行動に移す人でした。大胆そうに見えて、いざとなると臆病になる性格で、新約聖書の読者のなかに、ペトロに特別な親しみを感じる人たちが多くいます。 「わかっているよ。わかっているよ。家、妻、兄弟、両親、子供を捨てて私について来たのよね。この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受けるから心配しないでね。」このようにしてイエス様はペトロをなだめましたが、すぐに話題