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2021年5月31日 礼拝説教 「闇が力を振るう時」

  2021 年 5 月 31 日 礼拝説教 「闇が力を振るう時」 ルカによる福音書 22 章 47 ~ 53 節 47節              イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。 48節              イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。 49節              イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。 50節              そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。 51節              そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。 52節              それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。 53節              わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」 イエス様を捉えに来たのは祭司長の手下と、神殿を警護するユダヤ人兵士の一団でした。ローマ兵はいませんでしたが、二本の刀しか持っていない弟子たちがかなう相手ではありませんでした。怯えた弟子たちのほとんどは逃げました。しかし、武器を持っていた弟子の一人、熱血漢のペトロだけは手あたり次第に刀を振り回し、よけようとする大祭司の僕の耳を切り落としました。イエス様は暴れ回るペトロを制止し、怪我した人の耳の手当をしました。 四つの福音書を読み比べると、この逮捕の記事に様々な違いが見られます。マタイによる福音書によると、イエス様が武器の使用を否定するあの有名な言葉、「剣をさやに納めなさい。 剣を取る者は皆、剣で滅びる。 」を言ったのはこの時でした。第二次世界大戦中、日本の対戦相手国はキリスト教国でした。牧師の祈りに祝福されて戦場に送り出される若者も多くいました。しかし、イエス様のこの言葉を真に受けて兵役を拒否する人も少なくなかったです。ニュージーランドにいる母方の祖父母の関係者は兵隊になるのを拒みました。

2021年5月24日 礼拝説教 「ゲッセマネの園」

  2021 年 5 月24日 礼拝説教 「ゲッセマネの園」 ルカによる福音書 22 章 39 ~46節 39節           イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。 40節           いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。 41節           そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。 42節           「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」 43節           すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。 44節           イエスは 苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。 45節           イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。 46節           イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」 最後の晩餐が終わりました。弟子たちと一緒に外に出たイエス様はユダの裏切りに気がついていました。昼間は神殿の境内を埋め尽くす巡礼者たちに守られていたイエス様は夜になると孤立無援になり、身を守る方法はただ一つ、居場所を気づかれないようにすることでした。しかし、この時ばかりは、間近に迫る逮捕を回避しようとする努力は見られませんでした。いつものように、いつもの場所、エルサレムのすぐ外にあるオリーブ畑、ゲッセマネの園に向かいました。 この日の四日前に神殿の境内から商人たちを追い出したものの、武装していない弟子たちにはそれ以上のことができませんでした。神殿そのものは守衛たちに守られ、アントニア要塞に陣取っているローマ兵もそのままでした。クーデターを狙っていたならそれは不発に終わり、張本人、ナザレのイエスの運命は決まったも同然でした。残された選択肢は、暗闇に紛れてエルサレムから撤退するか、そのまま残って逮捕されるかの二つでした。 イエス様がこの時に意識していたのはある旧約聖書の言葉でした。「わたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた…屠り

2021年5月17日 礼拝説教 「信仰がなくならないように」

  2021 年 5 月 17 日 礼拝説教 「信仰がなくならないように」 ルカによる福音書 22 章 31 ~ 38 節 31節           「 シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。 32節           しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 33節           するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。 34節           イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」 35節           それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、 36節           イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。 37節           言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」 38節           そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。 新約聖書を最後まで読むと、サタンの正体は神様に敵対する大悪魔であることが明らかになります。しかし、旧約聖書を信じるユダヤ人はサタンをむしろ、神様の使いの一人として考えました。サタンの役目は人の心を試し、その秘められた罪をあぶり出し、見つかったら神様に報告することでした。試されたのに罪を犯さなかった旧約聖書のヨブは有名ですが、サタンは神様の許可がないとヨブを試すことができませんでした。イエス様の弟子たちも、この直後に試されることになっていましたが、それを願い出たのはサタンで、それを許可したのは神様でした。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。

2021年5月10日 礼拝説教 「一番偉い人」

  2021 年 5 月 10 日 礼拝説教 「一番偉い人」 ルカによる福音書 22 章 24 ~ 30 節 24節           また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。 25節           そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。 26節           しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。 27節           食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。 28節           あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。 29節           だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。 30節           あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」 有名人が引退して、キャリアを振り返って書く書物を回顧録と言います。正義の味方として自分を描き、都合の悪いことを省略することが多いので、鵜呑みにしてはいけないジャンルの文学です。しかし、四つの福音書はイエス様の弟子たちの思い出に基づいて書かれたにも関わらず、弟子たちを恰好よく見せようとする努力は感じられません。事実を飾ろうとしない、真っ正直な書き方は聖書が持つ説得力の一つです。ここまで自分たちの情けなさを晒すなら、「本当のことを書いているのだろう。」と読者に思わせます。 最後の晩餐に席順があり、イエス様が処刑される前夜だというのに、弟子たちは座る場所を巡って争っていました。以前からこのような行動を諫めてきたイエス様は、今になっても治らない有様に心を痛めました。正直に書いたと言いましたが、実を言うと、弟子たちはこの時に起きたある事実について長い間、口を閉ざしました。殉教せずにただ一人、高齢まで生き延びたヨハネは晩年にそれを明かしました。ヨハネが書い