2021年5月17日 礼拝説教 「信仰がなくならないように」

 

2021517日 礼拝説教

「信仰がなくならないように」

ルカによる福音書223138

31節          シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。

32節          しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

33節          するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。

34節          イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」

35節          それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、

36節          イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。

37節          言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」

38節          そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。

新約聖書を最後まで読むと、サタンの正体は神様に敵対する大悪魔であることが明らかになります。しかし、旧約聖書を信じるユダヤ人はサタンをむしろ、神様の使いの一人として考えました。サタンの役目は人の心を試し、その秘められた罪をあぶり出し、見つかったら神様に報告することでした。試されたのに罪を犯さなかった旧約聖書のヨブは有名ですが、サタンは神様の許可がないとヨブを試すことができませんでした。イエス様の弟子たちも、この直後に試されることになっていましたが、それを願い出たのはサタンで、それを許可したのは神様でした。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。」

この当時、ユダヤ人の男性の名前で一番多かったのはシモンでした。あまりにも多いので、シモンという名前の人には必ずあだ名が付けられるか、「~のシモン」という説明が加えられました。イエス様の弟子たちの中で一番目立っていたシモンも、普段は「ペトロ」と呼ばれていました。本名を繰り返すイエス様に「シモン、シモン」と呼びかけられ、ペトロはとても深刻な話が始まったことに気が付いたはずです。

とても貧しかったものの、シモン・ペトロはイエス様の弟子として夢のような三年間を過ごしました。伝道旅行に出かけた時は財布もなく、カバンもなく、靴もないのに、何不自由することなく過ごしました。後ろ盾にイエス様がいると怖いものはなく、病気を癒す力まで備わっていたので、どこに行っても歓迎されました。迎え入れてくれた人たちは必要な物を何でも、ただでくれました。

しかし、イエス様はこの幸せな日々が今夜で終わると告げ、イエス様らしくないことを言いました。「誰にもおごってもらえなくなるから財布とカバンを手放さないようにしなさい。誰にも守ってもらえなくなるから、護衛用に武器を持ち歩きなさい。」これからイエス様に犯罪者というレッテルが張られ、弟子だったことを理由に彼らは追い出され、辱めを受けます。イエス様と一緒にいる時に感じた勇気と力は消え失せ、幻滅と無力感しか残らなくなります。「御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」と宣言したペトロでさえ、三度もイエス様との関係を否定すると告げられました。

しかし、同時にイエス様はペトロに「あなたの信仰が無くならないように祈った。立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と言って希望を与えました。「信仰がなくなる」とはどういうことでしょうか。宗教心を失うことに限ったことではありません。俗な表現になりますが、「気持ちが腐る」ことです。「もう誰も信じられない。自分のことも嫌い。お先は真っ暗。頑張っても無駄。もう、どうなっても良い。死んだ方がまし。」そう思って人生にさじを投げることです。

サタンは心の拠り所を奪い、再起不能に追い込めないものかと思ってふるいにかけ、人の本心を試します。長い人生の中で、誰もが1度や2度はこのような経験をし、自暴自棄になる誘惑に駆られます。しかし、そのような経験をする前から希望の光が灯っています。信仰がなくならないように祈ってくださる方がいます。躓いても立ち直ると信じてくれる方がいます。打ちひしがれた心に新しい命を吹き込む方がいます。生きている以上は決して、「終わりだ」と言わせない方がいます。この時のペトロと同じように、厳しい境遇に立たされる一人一人に大事な使命が与えられます。立ち直って、自分と同じように弱い存在である仲間の励みになることです。サタンのふるいにかかっても、信仰がなくならないように祈ってくださるお方が、私たちにそのことを期待しています。

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