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Showing posts from February, 2023

2023年3月1日 卒業式 「門出を祝う神」

  2023 年 3 月 1 日  卒業式 「門出を祝う神」 創世記 12 章 1 ~4節 1節               主はアブラムに言われた。 「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。 2節               わたしはあなたを大いなる国民にし、 あなたを祝福し、あなたの名を高める、 祝福の源となるように。 3節               あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」 4節               アブラムは、主の言葉に従って旅立った。 聖書は、その理想とする生き方を「信仰」と言います。その信仰のお手本として紹介しているのは、後にアブラハムに改名する、アブラムという人物です。アブラムは文明が誕生したメソポタミアの先進都市、ウルの住民でした。この街には法と秩序があり、食べ物も十分にありました。周囲に暮らす人の憧れの的で、住みたいと思う人がいても、出ようと思う人はいませんでした。ウルの決まり事を知り尽くしていたアブラムは、そこにさえいれば恥をかくことも、生活に困ることもありませんでした。しかし、アブラムの耳に神様の言葉が響きました。「父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」ウルの市民として留まることもできましたが、この言葉に従い、目的地を知らないまま、放浪者同然の生活を受け入れました。 今日はお祝いの日です。ここで祝うのは、 226 名の卒業生が、高等学校の学びを成功者として、見事に完成できたことであり、ご列席の保護者が 18 年余の年月をかけて育て上げたご子息、ご息女を立派な成人として世に送り出すことになったことです。更に、この学校が 150 年の歴史を経て、創設者が伝えた敬神愛人の教育を今も尚、続けていることです。 しかし、このお祝いの日に、卒業生は厳しいとも、冷たいとも取れるもう一つのメッセージをしっかりと受け止める必要があります。つまり、この日は生徒として東奥義塾の校舎に入れる最後の一日であり、今後は卒業生として訪問することがあっても、もはや日常を過ごす場所ではなくなることです。卒業式は「どこにも行かないで」と言って引き留める声に耳をふさぎ、「今こそ行く時だ」と言って背中を押す声に従い、更に高い次元に目

2023年2月27日 礼拝説教 「愛する独り子」

    2023 年 2 月 27 日 礼拝説教 「愛する独り子」 創世記 22 章 15 節~ 19 節 15節                主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。 16節                御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 17節                あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。 18節                地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 19節                アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。 聖書の神様は人と親しい、心が通い合う関係を求めています 。最初の人のアダムと親しい対話ができましたが、エデンの園からの追放の後は距離ができます。人類を全体として眺めると神様が心を痛めることが多く、天地創造の最高傑作でもある人間との関係が、うまく行ったとは言えません。アブラハムの世代から神様は作戦を変えます。特定の人間と信頼関係を築き、その一人を通して全人類に幸せを届けるという方法を選びます。  ある意味でアブラハムは、人間と深い、親しい関係を築くのが可能であるかを試す、神様の実験台でした。アブラハムは失敗を重ねながら成長し、神様が求める水準に近づきました。イサクを捧げなさいと指示された時、究極の試練に耐え、神様の心を深く感動させました。あまりにも感動したので、神様は絶対に破ることのできない誓いを立て、これまでの約束の再確認をしました。 神様との駆け引きはこれで完了し、アブラハムにはこれ以上の試練がやって来ませんでした。しかし、父親が子供を生贄にしようとする、この不気味な光景を眺めながら、神様は一体何を考えていたのでしょうか。人間は神様の心を探ることはできませんが、ヒントならいくつかあります。まずは、アブラハムとイサクが二人で登った山があるのはモリヤの地でした。これは後に、イスラエルの首都となったエルサレムがある場所で、この都の外にある丘の上にロー

2023年2月20日 礼拝説教 「試練からの逃げ道」

    2023 年 2 月 20 日 礼拝説教 「試練からの逃げ道」 創世記 22 章 9 節~14節 9節                     神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに 祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 10節                そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 11節                そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、 12節                御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 13節                アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。 14節                アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。 私が少年の頃、プロレスはとても人気がありました。熱烈なファンの前で言うと気まずいに雰囲気になりますが、少年だった私の目から見ても、まともなスポーツには見えませんでした。反則を重ねる悪役がヒーローを追い詰めて観客を心配させましたが、もうダメかと思われると、ヒーローは奇跡的に力を回復し、悪役をやっつけて勝利しました。いわゆる八百長という物でした。 聖書によると、神様も八百長をやります。つまり、一人ひとりの耐えられる限界を見極めながら、ギリギリのところまで人間を追い詰めます。そうでもしないと人間は与えられた恵を当たり前に思い、いくら年をとっても問題解決能力のない、頼りない存在になります。試練を受けないまま力や地位を手に入れると、皆を不幸にするわがままな存在になります。しかし、新約聖書を読むと、神様が与える試練の種明かしが書いてあります。 「神は真実な方で・・・試練と共に・・・逃れる道をも備えていてくださいます。」試練を単

2023年2月13日 礼拝説教 「神はアブラハムを試された」

  2023 年 2 月 13 日 礼拝説教    「神はアブラハムを試された」 創世記 22 章 1 節~8節 1節                     これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、 2節                     神は命じられた。「 あなたの息子、あなたの愛する独り子イサク を連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、 彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。 」 3節                     次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。 4節                     三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、 5節                     アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」 6節                     アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。 7節                     イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、 焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 8節                     アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。 親にとって子供の命ほど大切なものはなく、子供の命が助かるためなら、自分の命も惜しいとは思いません。一生かけて貯めたお金でも、子供が必要とするなら、迷わずに全額譲るのが親の心です。「あなたの息子。あなたの独り子。あなたが愛している子。あなたに笑いを与えるその子、イサク。」 神様はアブラハムにとってイサクがどれほど大切な存在だったかを、十分に理解していました。この前置きは、次の言葉の残酷さを際立たせます。目に入れ

2023年2月6日 礼拝説教 「神は泣き声を聞かれた」

  2023 年 2 月 6 日 礼拝説教 「神は泣き声を聞かれた」 創世記 21 章 14 節~ 21 節 14節                アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。 15節                革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、 16節                「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。 17節                神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。 18節                立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」 19節                神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。 20節                神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。 21節                彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。 「人生は不公平だ。その事実に慣れていくしかない。」違う人の言葉を引用したようですが、インターネットではマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツが言った言葉として伝わっています。少し前までは世界一の富豪だったビル・ゲイツは高校生の時に大きな幸運に恵まれました。パソコンがない時代で、コンピュータは高価で買えない物でしたが、通っていた学校が近くにある会社と提携して、会社所有のコンピュータを生徒たちに使わせていたました。後になってビル・ゲイツは、この幸運のお陰で成功者になったと認めています。 聖書の価値観を徐々に受け入れるようになった現代社会は、昔に比べるとずいぶん公平な物になりました。もちろん、今も不公平はたくさんあります。しかし、そ