2023年2月6日 礼拝説教 「神は泣き声を聞かれた」
「神は泣き声を聞かれた」
創世記21章14節~21節
14節
アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。
15節
革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、
16節
「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。
17節
神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。
18節
立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
19節
神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。
20節
神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。
21節 彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。
「人生は不公平だ。その事実に慣れていくしかない。」違う人の言葉を引用したようですが、インターネットではマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツが言った言葉として伝わっています。少し前までは世界一の富豪だったビル・ゲイツは高校生の時に大きな幸運に恵まれました。パソコンがない時代で、コンピュータは高価で買えない物でしたが、通っていた学校が近くにある会社と提携して、会社所有のコンピュータを生徒たちに使わせていたました。後になってビル・ゲイツは、この幸運のお陰で成功者になったと認めています。
聖書の価値観を徐々に受け入れるようになった現代社会は、昔に比べるとずいぶん公平な物になりました。もちろん、今も不公平はたくさんあります。しかし、それが当然だと思う人はほとんどいなくなったし、できれば平等の方が良いと、皆が考えるようになりました。昔はそうではありませんでした。貴族の子供は貴族、百姓の子供は百姓、奴隷の子供は奴隷という考えが一般的で、文句を言わずに生まれ持った運命を受け入れるしかないことになっていました。
ハガルとイシュマエルの物語はとても納得のいかない、可哀そうな話です。信仰の父、アブラハムの息子のイシュマエルは、奴隷の子供だというだけで追い出され、砂漠で水を切らし、死にそうになりました。しかも、この物語を読む限りでは、神様ご自身がこのことを容認しているようにも見えます。「何てひどい神様だろう。」旧約聖書を読んでいるとそのように言いたくなる場面がいくつもありますが、聖書は結論として「神は愛です。」と言っています。それは何故でしょうか。
健康優良児として生まれて来る子供もいれば、身体にたくさんの障害を持って生まれる子供もいます。そのような不公平を見て、神様なんかいないという結論に達する人がいます。神様はそもそも目に見えないお方なので、信じるか信じないかは一人一人の自由です。しかし、いないと決めたからと言って、それで楽になる訳ではありません。自分に当たった遺伝子の組み合わせや家庭環境がたまたま悪かったと諦めても幸せな生き方には繋がりません。
今日の話の結論の部分にこの問題への答えがあると思います。イシュマエルを捨てたのはアブラハムであって、決して神様ではありませんでした。私たちはできることなら神様にすべての辛い思いから守って欲しいと考えますが、聖書は現実をとても正確に描いていて、聖書の神様はそのようなことをしてくれません。むしろ、その逆で、苦しい状況に耐えながら生きている人間を長い時間、そのまま放っておいているようにも見えます。
八方ふさがりだと思い込んで絶望していたハガルの目が開かれました。運が悪いとしか言いようがない、不幸な事情は少しも変わらないかもしれません。しかし、お祈りすると神様は私たちの目をも聞いてくださいます。泣いている私たちに新しい気付きを与え、「死ぬことはないよ」と言って、生きる道を示してくださいます。
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