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Showing posts from October, 2023

2023年10月30日 礼拝説教 「手を支えられたモーセ」

2023 年 10 月 30 日 礼拝説教 「手を支えられたモーセ」 出エジプト記 17 章 8 節~ 15 節 8節            アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、 9節            モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」 10節        ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。 11節        モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。 12節        モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。 13節        ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。 14節        主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」 15節        モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、 16節        言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」 戦争は悪いに決まっている事です。しかし、いくら悪い事であっても、戦争にもルールがあり、それを破ると戦争犯罪者と呼ばれます。最近のニュースでよく聞くのは、ジュネーブ条約の一般市民を保護する規定です。戦争相手国の兵隊を殺しても良いが、戦闘員ではない、一般市民を殺してはならないという規定です。このルールができてから 75 年もたっていますが、今になっても守ろうとしない国がたくさんあります。 聖書が書かれた時代の中東にも、部族社会の形を取りながら、盗賊と言った方がよさそうな集団がありました。生活手段は自分たちの部族以外の人たちを襲って人や物を奪うことで、イスラエル人が渡るシナイ半島にもこの類の人たちがいました。名前はアマレクと言い、自分たち以外の人間を皆、獲物と見なしていました。襲われる相手に同情す

2023年10月23日 礼拝説教 「心の底から湧き出る水」

  2023 年 10 月 23 日 礼拝説教 「心の底から湧き出る水」 出エジプト記 17 章 1 節~ 7 節 1節            主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。 2節            民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」 3節            しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」 4節            モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、 5節            主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。 6節            見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。 7節            彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。   荒野での旅が終わってから、約束の国に入ったイスラエル人は畑を耕して家を建て、年がら年中、同じ場所に住むようになりました。しかし、生活が楽になった彼らは、毎年9月の終わりごろから 10 月の初めにかけて一週間、野外に出てキャンプ生活のようなことをしました。この時期に、神殿があるエルサレムに行くと、都の周りに野外生活をしている巡礼者が大勢いました。「仮庵の祭」と言うようになったこの行事を守ることによって、先祖たちが荒野で体験した不便な生活を忘れないように努めました。  エルサレムの都にかなりの高低差がありますが、一番高い所に神殿があり、一番低い所に湧き水を溜めるシロアムの池がありました。仮庵の祭が続く七日間、シロアムの池から水を運び、神殿の中にある祭壇の横に注ぎ出す儀式が行われていました。水のない荒野を渡った時、岩から水が湧き出て、神様から水を

2023年10月20日 記念式典式辞 「遠い昔の日々を思い起こせ」

  2023 年 10 月 20 日 記念式典式辞 「遠い昔の日々を思い起こせ」 申命記 32 章 7 節、 10 節~ 12 節 7節               遠い昔の日々を思い起こし、代々の年を顧み よ。 あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれば、話してくれるだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10節          主は荒れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られた 11節          鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように、 12節          ただ主のみ、その民を導き、外国の神は彼と共にいなかった。  東奥義塾の生徒、教職員、同窓生、関係者の皆様。私たちが愛して止まない、東奥義塾の誕生から 150 年という節目の年を迎えたことを、心からお祝い申し上げます。ご来賓の皆様、大事なお時間を割いていただき、私たちと共にこの日を喜び、ご来校いただいたことを深く感謝申し上げます。  先ほど、岩住宗教主事が読んでくださった聖書の言葉の通り、私たちは今日、この日、「遠い昔の日々を思い起こし、代々の年を顧みる」ために集まりました。私たちが父として崇め、長老として重んじる多くの方々もこの場に来られました。東奥義塾の歩みについて不十分な知識しかない私たちは、「この方たちに問えば告げてくれるだろう、尋ねれば、話してくれるだろう」という期待を胸にしてこの日を迎えました。  私たちの学校の歴史はあまりにも長く、その歩みを支えて来た方々と、東奥義塾が生み出した方々の功績はあまりにも大きいが故に、受け継ぐ立場にある私たちは、その任に相応しいかどうかを常に問われ、東奥義塾という巨大な波の先端に浮かぶ小さな存在であることを日々思わされます。伝統を受け継ぐことが如何に根気を要することであっても、節目ごとに、無から有を作り出したとも言える諸先輩方の想像を絶する労苦を思うと、何をも誇ることができない自分がここにいることを、深く認識せざるを得ません。  東奥義塾が私立学校として認可を受けた 1872 年以来、一貫して順風満帆の日々を過ごしたとするなら、この日を迎える私たちの喜びは半減し

2023年10月16日 礼拝説教 「安息日の始まり」

  2023 年 10 月 16 日 礼拝説教 「安息日の始まり」 出エジプト記 16 章 22 節~ 30 節 22節        六日目になると、彼らは二倍の量、一人当たり二オメルのパンを集めた。共同体の代表者は皆でモーセのもとに来て、そのことを報告した。 23節        モーセは彼らに言った。 「これは、主が仰せられたことである。明日は休息の日、主の聖なる安息日である。 焼くものは焼き、煮るものは煮て、余った分は明日の朝まで蓄えておきなさい。」 24節        彼らはモーセの命じたとおり、朝まで残しておいたが、臭くならず、虫も付かなかった。 25節        モーセは言った。「今日はそれを食べなさい。今日は主の安息日である。今日は何も野に見つからないであろう。 26節        あなたたちは六日間集めた。七日目は安息日だから野には何もないであろう。」 27節        七日目になって、民のうちの何人かが集めに出て行ったが、何も見つからなかった。 28節        主はモーセに言われた。「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。 29節        よくわきまえなさい、主があなたたちに安息日を与えたことを。そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」 30節        民はこうして、七日目に休んだ。 空から降って来るマナと言う食べ物はとても不思議な物でした。集めるコツをすぐに覚えてたくさん集めた人もいれば、集めるのに苦労して少ししか集められない人もいました。しかし、集めたマナを測って見ると、皆に同じ牛乳パック二、三本分に当たる一オメルがありました。共産主義の元になった「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というカール・マルクスの言葉は有名ですが、この聖書の個所からアイディアをもらった可能性があります。 ところが 、金曜日になると更に不思議なことが起こりました。集めたマナを測って見ると一オメルではなく、二オメルになっていました。「次の日まで残すな」と言われたイスラエル人はどうしようと思ってモーセに相談しました。「土曜日は神様から与えられた休みの日だ。明日はマ