2023年10月16日 礼拝説教 「安息日の始まり」

 20231016日 礼拝説教

「安息日の始まり」

出エジプト記1622節~30

22節       六日目になると、彼らは二倍の量、一人当たり二オメルのパンを集めた。共同体の代表者は皆でモーセのもとに来て、そのことを報告した。

23節       モーセは彼らに言った。「これは、主が仰せられたことである。明日は休息の日、主の聖なる安息日である。焼くものは焼き、煮るものは煮て、余った分は明日の朝まで蓄えておきなさい。」

24節       彼らはモーセの命じたとおり、朝まで残しておいたが、臭くならず、虫も付かなかった。

25節       モーセは言った。「今日はそれを食べなさい。今日は主の安息日である。今日は何も野に見つからないであろう。

26節       あなたたちは六日間集めた。七日目は安息日だから野には何もないであろう。」

27節       七日目になって、民のうちの何人かが集めに出て行ったが、何も見つからなかった。

28節       主はモーセに言われた。「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。

29節       よくわきまえなさい、主があなたたちに安息日を与えたことを。そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」

30節       民はこうして、七日目に休んだ。

空から降って来るマナと言う食べ物はとても不思議な物でした。集めるコツをすぐに覚えてたくさん集めた人もいれば、集めるのに苦労して少ししか集められない人もいました。しかし、集めたマナを測って見ると、皆に同じ牛乳パック二、三本分に当たる一オメルがありました。共産主義の元になった「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というカール・マルクスの言葉は有名ですが、この聖書の個所からアイディアをもらった可能性があります。

ところが、金曜日になると更に不思議なことが起こりました。集めたマナを測って見ると一オメルではなく、二オメルになっていました。「次の日まで残すな」と言われたイスラエル人はどうしようと思ってモーセに相談しました。「土曜日は神様から与えられた休みの日だ。明日はマナが降らないから火を通して取って置きなさい。」という指示が出ました。今度は臭くなることも、虫が付くこともありませんでしたが、欲張りな人は我慢できなくなり、今日もあるかと思って探しに出かけました。

どこに行ってもマナがなく、へとへとになって帰って来た彼らはまたもモーセに叱られました。「せっかく神様から休みをもらったのに、何をしているの。この日はしっかりと体を休めるように、神様が仕事をしてはならないとお命じになった特別な日だ。」旧約聖書の最初に、天地創造の七日目に神様は休まれたと書いてありますが、人間に休息の命令が出たのはこの場面が初めてでした。

代々のイスラエル人は土曜日に当たる七日目に仕事をしないことに民族のアイデンティティを感じるようになりました。神様の命令を守らないで安息日、つまり神様が与えた休みの日に仕事をする人は村八分にされました。イエス様の時代になると、その守り方に極端な解釈を加える人が多くなり、安息日は生活しづらい、窮屈な一日になっていました。イエス様は「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」と言って強く反発し、ユダヤ教の指導者たちを敵に回しました。

安息日の教えは、最初に受け取ったイスラエル人にはとても有難く、決して窮屈な物ではありませんでした。何故なら、ついこの前まで彼らは奴隷であり、奴隷は所有者である主人の都合で生きているので、死ぬまで働かされても文句は言えません。安息日があるのは、もはや奴隷ではないという証であり、何があってもその日に休むことにイスラエル人は強いこだわりを持ちました。

不思議なことに、機械化や自動化がいくら進んでも、人は新しい用事や仕事を見つけて益々忙しくなります。休んでいる間に、他の人が勉強や練習や仕事をしていると思うと、じっとしていられなくなります。しかし、長い目で見ると、休みをしっかり取った方が仕事の能率が上がり、遅くまで職場に残るよりは、時間を決めて帰った方が質の高い仕事ができる場合があります。その逆を言えば、一生懸命に働く人ほど、充実した休息を取ることができます。

更に大事なことに、安息日は自分を見つめ、感謝すべき相手を意識し、大事にすべき人に時間を費やすことを可能にします。「これは、ヤハウェが仰せられたことである。明日は休息の日、ヤハウェの聖なる安息日である。」勉強する日と、練習する日と同じように、休息の日をも大事にして生きるようにしましょう。

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