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2022年6月29日 礼拝説教 「カインは弟を殺した」

2022 年 6 月 29 日 礼拝説教 「カインは弟を殺した」 創世記 4 章 1 節~8節 1節                   さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。 2節                   彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 3節                   時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 4節                   アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 5節                   カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。 6節                   主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか  。 7節                   もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」 8節                   カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。 エデンの園から追い出されたアダムとエバに、一時の幸せがやってきました。子供に恵まれ、しばらくは罪のない、我が子の純真さを喜びとしました。しかし、時間がたつに内に嫌なことに気付き始めました。長男のカインにいじわるで、嫉妬深い性質がありました。大人になると、心が恨みでいっぱいになり、弟のアベルを殺してしまいました。このようにして、最初に生まれた人間は、最初の殺人者にもなりました。禁じられた実を食べてから、アダムとエバを悩ませるようになった罪の性質は、自分たちに留まることなく、子供にも伝わって行きました。 すべての問題の根っこにある罪の性質は、人類の共通の問題になりました。聖書は希望のメッセージを伝える書物ですが、その中に嘘もきれいごともありません。聖書は人類の厳しい現実と正直に向き合う本で、どうすれば罪の問題を解決すれば良いのかをも教えてくれます。嫉妬心はだれにもあり、失敗したり、

2022年6月20日 礼拝説教 「園からの追放」

  2022 年 6 月 20 日 礼拝説教 「園からの追放」 創世記 3 章 17 節~ 24 節 17節              神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。 18節              お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる野の草を食べようとするお前に。 19節              お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」 20節              アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。 21節              主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。 22節              主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」 23節              主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。 24節              こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 人は仕事に就く、つまり就職するのがめでたいことだと考えます。仕事がないことから生じる問題は、食べていけないことばかりではありません。仕事をして社会の役に立っていると思わないと、人はとても辛い思いをします。しかし、エデンの森から出て来た最初の人間にとって、仕事はちっとも楽しいものではありませんでした。禁じられた実を食べたアダムは、エバと違う罰が与えられ、「生涯食べ物を手に入れるために苦しむ。」と言われました。エバはアダムに頼り、言う事を聞かなければならなくなりましたが、アダムはそのエバと、エバが産む子供たちを養い、食べさせる義務を負うことになりました。 アダムとエバは木の実に代わって野の草、つまりコメや麦などの穀物を食べるようになりました。農業機械ができてから穀物を育てるのは楽になり、先進国の場合、人口の 2 、 3 パーセントしかいない

2022年6月13日 礼拝説教 「裸であることを知る」

  2022 年 6 月 13 日 礼拝説教 「裸であることを知る」 創世記 3 章 8 節~ 16 節 8節                   その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 9節                   主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 10節              彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」 11節              神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」 12節              アダムは答えた。「 あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、 木から取って与えたので、食べました。」 13節              主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 14節              主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。 15節              お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」 16節              神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。 お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。 」 「誰々ちゃんがやろうと言ったからやった。」情けない言い訳ですが、小学 1 年生の頃、自分からその言葉を言った記憶があります。罪を責められた時に責任転嫁したアダムにそっくりなのは私だけでしょうか。「私の骨の骨、肉の肉」と言って喜んだアダムに、エバをかばう気持ちは少しもありませんでした。都合が悪くなると手のひらを返し、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が…」と言って、まずはエバを造った神様を責め、次に命より大事だったはずのエバを責めました。 礼拝堂の真ん中にある十字架はキリストが全人類の罪をかぶったことを表して