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Showing posts from April, 2022

2022年5月2日 礼拝説教 「神の休日」

  2022 年 5 月 2 日 礼拝説教 「神の休日」 創世記 1 章 31 節~ 2 章 3 節 31節              神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 1節                   天地万物は完成された。 2節                   第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 3節                   この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。 太陽が動いて空の同じ位置に戻るまでにかかる時間を一日と言います。月の形が変化して同じ形に戻るまでの、おおよその時間を一カ月と言います。季節が一周して同じ季節に戻るまでの時間を一年と言います。ここまでは常識ですが、一週間は何のことでしょうか。意外に思うかもしれませんが、世界各地に一週間が定着したのは、聖書の天地創造物語があったからです。 昔のメソポタミア人は太陽と、月と、水星から土星までの五つの惑星を意識して七日間周期を作りました。これは中国を経由して日本にも伝わり、平安時代の貴族は占いに使いました。しかし、七日間周期が日本人の生活の一部になったのは明治時代以降のことで、江戸時代まで、週に一回休むという習慣はありませんでした。お盆とお正月以外の休日は、お祭りの日くらいで、仕事は毎日するものでした。昭和の時代になり、戦争中は「月月火水木金金」という歌がはやり、「勝利をつかむまで一日も休むな」と国民に訴えかけました。 生活を七日間区切りにして一日休むという考えを広めたのは聖書を持っているユダヤ人でした。七日目に休むのは、他の民族との違いをはっきりさせるためで、ユダヤ人であることの証でした。その日に仕事をすると村八分にされ、殺されることもありました。キリスト教はユダヤ教から旧約聖書を受け継ぎ、キリスト教徒になったローマ皇帝コンスタンティヌスは日曜日に働くことを禁止しました。地中海周辺に一週間という概念が定着し、どんな身分の人も、週に一回は休めるようになりました。 しかし、天地創造の七日目に休息をとったのは、神様が疲れたからでしょうか。聖書の 他の箇所を読むと神

2022年4月25日 礼拝説教 「地球の支配者」

  2022 年 4 月 25 日 礼拝説教 「地球の支配者」 創世記 1 章 24 ~ 31 節 24節              神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。 25節              神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。 26節              神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 27節              神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 28節              神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 29節              神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。 30節              地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 31節              神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 1995 年頃、奄美大島付近の海に潜るダイバーたちは、海底の砂に直径 2 メータ-もある、とても芸術的な星模様に気付きました。アーティストの正体は 15 年以上も分かりませんでしたが、作者は驚いたことに人間ではなく、身長 12 センチしかないフグの一種、アマミホシゾラフグでした。雄たちは芸術性を競いながら模様を作り、メスたちは気に入った模様を選び、その真ん中に卵を産むことがわかりました。このようにして、芸術的才能があるフグの遺伝子が残され、高度なデザインを描く才能が代々、継がれてきました。 いくら偉そうにしても、人は霊長類の一種で、動物社会を観察すると、人間社会についてもたくさんのことがわかります。天地創造の物語を読んでも、人は他の哺乳類と同じ 6 日目

2022年4月18日 礼拝説教 「ぼくらはみんな生きている」

  2022 年 4 月 18 日 礼拝説教 「ぼくらはみんな生きている」 創世記 1 章 11 ~ 23 節 11節              神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。 12節              地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。 13節              夕べがあり、朝があった。第三の日である。 14節              神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。 15節              天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。 16節              神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。 17節              神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、 18節              昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。 19節              夕べがあり、朝があった。第四の日である。 20節              神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」 21節              神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。 22節              神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」 23節              夕べがあり、朝があった。第五の日である。 やなせ・たかしは 76 歳になってから「それいけ!アンパンマン」のアニメで一躍有名になりましたが、その時まで名前も知らない人が多かったようです。しかし、アニメ放送の 27 年前に日本人なら誰でもわかる歌の歌詞を作りました。「手のひらを太陽に」は教科書に載り、今も載っています。生きているから、あれこれするんだ。悲しくなったり、嬉しくな

2022年4月8日 始業式 「神はこれを見て、良しとされた」

  2022 年 4 月 8 日 始業式 「神はこれを見て、良しとされた」 創世記 1 章 1 ~ 10 節 1節                初めに、神は天地を創造された。 2節                地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 3節                神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。 4節                神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、 5節                光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 6節                神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 7節                神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。 8節                神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。   9節                神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。 10節            神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 「自然」という言葉を聞くと美しい物を連想すると思います。野に花が咲き、鳥や虫の鳴き声が聞こえ、川に魚が泳いでいます。自然の美しさを守るために国は国立公園を作り、人の手が入らないようにします。しかし、どんな場合も、自然に任せた方が良い結果が生まれるとは限りません。くじ引きで音を選び、偶然に並んだ音で曲を作ろうとした作曲家もいましたが、雑音にしかならないのですぐに止めました。同じような発想で絵を描いた画家もいましたが、人を感動させる作品を作れませんでした。お片づけができない人が住んでいる家は、目も当てられない、ゴミ屋敷になります。天地創造が始まる前にあったのも、美しい自然界ではなく、だれも住みたいと思わない、しっちゃかめっちゃかで、何も見えない、真っ暗な所でした。  どのようにして、そのような不気味で怖そうな空間が、今の自然界に変わって行ったのでしょうか。自動車工場に爆発が起こった結果、部品がくっつき合って自動車ができたと言っても

2022年4月7日 入学式 「光あれ」

  2022 年 4 月 7 日 入学式 「光あれ」 創世記 1 章3~5節 神は言われた。「光あれ。」 こうして、光があった。 神は光を見て、良しとされた。 神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。 夕べがあり、朝があった。第一の日である。   世界のどこに行っても、宇宙や、地球や、そこにいる生き物たちがどのようにできたかについて、いろいろなお話があります。イスラエルという、小さな国にいる人たちが聖書物語を書いていたその頃、近くにある立派な文明大国、バビロニアやエジプトにも、同じようなお話がありました。しかし、その内容は、性格が意地悪で、嫉妬したり、喧嘩したり、殺し合ったりする神様のお話で、地球や人間は、そのいざこざのついでに生まれて来ます。地球にも人間にも、大した意味があるような印象は受けません。 粘土板などに書かれたこのお話の多くは、 19 世紀の半ばに考古学者に発見されるまで、長く忘れられていました。対象的、聖書の天地創造物語は、何千年もの間、語り継がれてきました。人類が初めて地球の軌道から離れ、アポロ 8 号が月を回り始めた 1968 年 12 月 24 日のクリスマス・イブ。阿部宗教主事が先ほど読んでくださった聖書の言葉が、宇宙船にいる乗組員から地球に送信され、地球から見守る 10 億人以上の人の耳に届きました。科学の勝利とも言えるその瞬間、あの古い聖書の言葉が多くの人たちに深い感動を与えましたが、それは何故だったでしょうか。  科学者によると、 138 億年前に全宇宙にある物のすべては、ピンの先より小さい塊に詰め込まれていました。ビッグバンという出来事があり、その後、宇宙は今の姿になるまで広がりました。何故、そのようなことが分かるのでしょうか。現代人は、宇宙について驚く程の知識を持つようになりましたが、科学がいくら進歩しても、ビッグバンの前に何があったのか、ビッグバンが何故、起きたのかについて知る方法はありません。答えを探そうとするなら、今のところは、聖書の 1 ページ目を読む他はありません。 そこには光も、形ある物も何もない、寒々とした、寂しい宇宙空間があり、それを見渡す、たった一人の神様が描かれています。神様は考えます。何もないのは良くない。何かがあった方が良い。暗くて何も見えないのも良くない。