2022年4月18日 礼拝説教 「ぼくらはみんな生きている」

 2022418日 礼拝説教

「ぼくらはみんな生きている」

創世記11123

11節             神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。

12節             地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。

13節             夕べがあり、朝があった。第三の日である。

14節             神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。

15節             天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。

16節             神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。

17節             神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、

18節             昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。

19節             夕べがあり、朝があった。第四の日である。

20節             神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」

21節             神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。

22節             神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」

23節             夕べがあり、朝があった。第五の日である。

やなせ・たかしは76歳になってから「それいけ!アンパンマン」のアニメで一躍有名になりましたが、その時まで名前も知らない人が多かったようです。しかし、アニメ放送の27年前に日本人なら誰でもわかる歌の歌詞を作りました。「手のひらを太陽に」は教科書に載り、今も載っています。生きているから、あれこれするんだ。悲しくなったり、嬉しくなったりするのは生きているからだ。同じように生きているミミズも、トンボも、カエルも皆,友だちなんだ。大胆に言い切るこの命の賛歌を歌うと、思わず元気が出ます。

花には生花もあれば、造花もあります。人の手で作った造花は、ほこりが付いて汚くなったり、色褪せたりすることがあっても、枯れることはありません。生花はいくら水を差しても、長くて一か月くらいしか持ちません。しかし、人に贈ると「わあ、きれい!」と喜んでもらえるのは生花の方です。「どうして、すぐに枯れるようなものをくれるの?」と尋ねる人はいません。かぎりある命でも、命があるからこそ大事なものだと、皆が分かってくれます。

前回は天地創造の1日目と2日目の箇所を読みました。2日目までに揃ったのは光と、水と、大空、つまり空気でした。素人っぽく言うと、植物のご飯になる糖分は水と空気でできています。空気にある二酸化酸素(CO₂)は光の刺激を受け、植物の中にある水とぶつかり合い、植物のご飯になる糖分ができます。自然界から養分を摂る条件が揃ったので、3日目から現れたのは生き物でした。「神は言われた。『地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。』そのようになった。」

「そのようになった」と簡単に言いますが、これも科学の力をはるかに超えた、不思議なできごとでした。光の力を借りて水と空気を養分に変える植物細胞は、半径0.1ミリ以下の、とても小さな物です。しかし、それぞれの細胞を細かく見ると、その構造は数万人が住む街と同じくらいに複雑な物で、ど真ん中に、その設計図になるデータが詰まったDNAがあります。人工知能も作れる、最高レベルの科学者を何人集めても、ごく単純な細胞さえ、一つも作れません。

今日の聖書の個所は、やなせ・たかしの歌詞に似ています。神様がいない方が良いと思っている生き物は一つもありません。「産めよ、増えよ、地を満たせ」と言います。温泉地に行くと、地面からお湯が直接湧く源泉があります。いくつもの管を通ってそれぞれの宿の湯船に流れて行きますが、どのお湯も同じ所から来ます。私たちにも同じように、命をつなげてくれた両親がいます。しかし、元をたどると誰の命も、源泉である神様に行きつきます。

環境がいくら悪くても、地球のいたる所に命があります。しかし、宇宙を見渡すと、命はそもそもあり得ない物で、地球を除くと、その気配はどこにも感じられません。「命の奇跡」という言葉がありますが、その正体を知れば知るほど人は驚き、恐れさえ感じます。しばらく目を閉じて呼吸する自分に意識を向けてください。お腹に手をあてて軽く押してください。大動脈を流れる血液の動きが伝わります。自分に言い聞かせてください。「私は生きている。」今、確認したこの命に活かされ、今日しかない、この日を全うしてください。命ある物を祝福する神様は、私たちの生き生きした姿をお喜びになります。

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