2022年5月2日 礼拝説教 「神の休日」

 202252日 礼拝説教

「神の休日」

創世記131節~23

31節             神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

1節                  天地万物は完成された。

2節                  第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

3節                  この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

太陽が動いて空の同じ位置に戻るまでにかかる時間を一日と言います。月の形が変化して同じ形に戻るまでの、おおよその時間を一カ月と言います。季節が一周して同じ季節に戻るまでの時間を一年と言います。ここまでは常識ですが、一週間は何のことでしょうか。意外に思うかもしれませんが、世界各地に一週間が定着したのは、聖書の天地創造物語があったからです。

昔のメソポタミア人は太陽と、月と、水星から土星までの五つの惑星を意識して七日間周期を作りました。これは中国を経由して日本にも伝わり、平安時代の貴族は占いに使いました。しかし、七日間周期が日本人の生活の一部になったのは明治時代以降のことで、江戸時代まで、週に一回休むという習慣はありませんでした。お盆とお正月以外の休日は、お祭りの日くらいで、仕事は毎日するものでした。昭和の時代になり、戦争中は「月月火水木金金」という歌がはやり、「勝利をつかむまで一日も休むな」と国民に訴えかけました。

生活を七日間区切りにして一日休むという考えを広めたのは聖書を持っているユダヤ人でした。七日目に休むのは、他の民族との違いをはっきりさせるためで、ユダヤ人であることの証でした。その日に仕事をすると村八分にされ、殺されることもありました。キリスト教はユダヤ教から旧約聖書を受け継ぎ、キリスト教徒になったローマ皇帝コンスタンティヌスは日曜日に働くことを禁止しました。地中海周辺に一週間という概念が定着し、どんな身分の人も、週に一回は休めるようになりました。

しかし、天地創造の七日目に休息をとったのは、神様が疲れたからでしょうか。聖書の他の箇所を読むと神様は眠ることなく、昼も夜も私たちを見守ってくださるお方です。七日目に神様が休んだのは自分のためではなく、疲れる生き物である人間のためでした。ユダヤ人が休日を大事にしたのはかつて、エジプト人に仕える奴隷だったからです。辛い仕事をさせられ、休むことを許されなかったことを忘れないで、もはや奴隷ではないことを確認するため、週に一回の休日に強いこだわりを見せました。

日本人は勤務時間が終わってもすぐに家に帰らないことや、部活動の練習時間がやたらに長いことで有名ですが、仕事や練習の効果を調べると、長ければ良いとは限りません。元気がある内に、一休みして仕事を振り返るのはとても大事な事です。山を登る途中に、見晴らしの良い場所から下を見下ろす時に味わう、あの爽快な気分を思い出してください。一回止まって、ここまでやったという満足感を味わうと、次の段階に向けてやる気が湧いてきます。それがないと、完成した仕事の内容もわからなくなり、軌道修正が必要になっても気付かず、いつまでたっても効率の悪い仕事を続けます。

 その反面、休日を快適に過ごせるのは、それまで精一杯努力した人たちです。一日をダラダラと過ごす人ほど、不眠症になりやすいです。七日目が神様に祝福され、特別な日になったのは、その前に天地創造があったからです。聖書が伝えようとしているのは次のことです。「天地創造の時の神様のように、六日間は一生懸命に働きなさい。しかし、一くぐり付いたら神様が休まれたように、あなたたちも休みなさい。」今の連休を一番楽しんでいるのは四月中に努力を惜しまなかった人たちです。三日間残っていますが、寝て過ごすには長過ぎます。メリハリのついた時間を心がけ、五月に向けてやる気を高めてください。

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