2022年4月7日 入学式 「光あれ」

 202247日 入学式

「光あれ」

創世記1章3~5節

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

神は光を見て、良しとされた。

神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。

夕べがあり、朝があった。第一の日である。

 世界のどこに行っても、宇宙や、地球や、そこにいる生き物たちがどのようにできたかについて、いろいろなお話があります。イスラエルという、小さな国にいる人たちが聖書物語を書いていたその頃、近くにある立派な文明大国、バビロニアやエジプトにも、同じようなお話がありました。しかし、その内容は、性格が意地悪で、嫉妬したり、喧嘩したり、殺し合ったりする神様のお話で、地球や人間は、そのいざこざのついでに生まれて来ます。地球にも人間にも、大した意味があるような印象は受けません。

粘土板などに書かれたこのお話の多くは、19世紀の半ばに考古学者に発見されるまで、長く忘れられていました。対象的、聖書の天地創造物語は、何千年もの間、語り継がれてきました。人類が初めて地球の軌道から離れ、アポロ8号が月を回り始めた19681224日のクリスマス・イブ。阿部宗教主事が先ほど読んでくださった聖書の言葉が、宇宙船にいる乗組員から地球に送信され、地球から見守る10億人以上の人の耳に届きました。科学の勝利とも言えるその瞬間、あの古い聖書の言葉が多くの人たちに深い感動を与えましたが、それは何故だったでしょうか。

 科学者によると、138億年前に全宇宙にある物のすべては、ピンの先より小さい塊に詰め込まれていました。ビッグバンという出来事があり、その後、宇宙は今の姿になるまで広がりました。何故、そのようなことが分かるのでしょうか。現代人は、宇宙について驚く程の知識を持つようになりましたが、科学がいくら進歩しても、ビッグバンの前に何があったのか、ビッグバンが何故、起きたのかについて知る方法はありません。答えを探そうとするなら、今のところは、聖書の1ページ目を読む他はありません。

そこには光も、形ある物も何もない、寒々とした、寂しい宇宙空間があり、それを見渡す、たった一人の神様が描かれています。神様は考えます。何もないのは良くない。何かがあった方が良い。暗くて何も見えないのも良くない。光があった方が良い。一大決心をしたかのように、神様は短い一言を言います。「光あれ。」こうして、光があり、それを見ると神様は、「いいね」と言います。しかし、光があっても、見る目がなければ、誰もそれに気が付きません。光だけあって、影がなければ、物の区別も付きません。一日の時間を、明るい昼と、暗い夜に分け、天地創造の第一日が終わります。しかし、それに満足できなかった神様は、光に照らされて育つ植物と、光と影を見分ける動物を造る構想を練り始めます。

 聖書を読み続けると、それから、いろいろな出来事があります。138億年の年月を経て、その延長線上に今日という、この日がやってきました。神様は東奥義塾の入学式に、誰も来ないのは良くないと考え、新入生のために、長い時間をかけてこの場所を用意してくださいました。ここに集まる生徒が、神様に造られたすばらしい世界を見て感動し、それをもっと探求しようと思うように、注意深く観察する目と、それを深く理解する頭脳を与えました。

 「光、あれ」という言葉は、学びの場である学校で、最初の一日を迎える私たちにも向けられたものです。私たちが住んでいる宇宙が、これほどまでに不思議な、すばらしい場所でありながら、そこにいる私たちが、何にも注意を払うことなく、何をも理解しないのであれば、もったいないを通り越した、とても悲しい話です。教育は、そうならないように私たちに当てられた、神様の光です。この光に照らされた人間として、熱心に学んで行きましょう。

 今日は50年ぶりに、東奥義塾高等学校に入学する新入生と一緒に、中学校に入学する生徒がこの場所に集まりました。スタートラインも違うし、学ぶ教育課程にも違いがあります。しかし、一番大事な事に関して、この日から同じ目標に向かって動き出しました。世界に多くの悲しみや苦しみがあり、必ずしも、神様の理想にかなった場所ではありません。しかし、私たち人間には大きな力があります。世の中をもっと悲惨にする力もあれば、悲しみや苦しみを和らげ、より良い場所にする力もあります。

 東奥義塾の使命は、憎しみのある所に赦しを、痛みのある所に癒しを、絶望がある所に希望を運ぶ、より良い世界を作るリーダーを育てることです。東奥義塾が今からちょうど150年前に始まったのはそのためであり、その長い歴史を通して、そのような人物を育ててきました。先輩たちに続くことに満足することなく、彼らの実績を超える成果を目指してください。遠い未来の事のように思えても、すべての生き物に、この世界から離れる時が必ず来ます。その時まで、地球で生きていたという証拠を残し、より良い世界を作る努力をしながら、力を尽くしてください。

新入生の皆様。ご入学おめでとうございます。冬が去り、雪がとけ、東奥義塾の象徴の一つになった人工芝のグラウンドは、青々とした姿を現し、元気に走り回る新入生に踏まれるのを待ちわびています。間もなく、校舎を囲むリンゴの木に花が咲き乱れ、明日からは毎日、この礼拝堂で全校生徒と顔を合わせることになります。教室は新しい学びに取り組む生徒の熱気に包まれ、広い体育館に新一年生の声がこだまするようになります。早くこの環境を好きになってください。心に大きな希望を与える目標に照準を当て、力を出し切ってください。21世紀の世界で、力を発揮できる人間になってください。

保護者の皆様。本当におめでとうございます。大事なご子息、ご息女の教育を私たちにお委ね下さり、心から感謝申し上げます。人類は再び戦争と疫病という災難に直面しています。そのなかで私たちは学校に通うお一人お一人の健康を守り、聖書が幸いになるとの約束している「平和を実現する人」に育つように力を尽くします。学校として、21世紀が求めるスキルが身に付く環境を整えるように、精一杯の努力をさせていただきました。年々高くなる高度技術社会のハードルにおじけることなく、立派に活躍できる力を身に付けて卒業できるように、私たちと手を取り合って下さい。よろしく、お願い申し上げます。

御来賓の皆様。ご多用のなか、新一年生を激励するためにご列席いただき、誠にありがとうございます。ここにいる新一年生は、新しい世の中で津軽が、そして日本が一目置かれる存在として輝き続けるように、大事な役割を担う運命を背負っています。落胆することなく、幸せに通じる道から外れることのないように導くのは、大人である私たちの厳粛な勤めです。これから彼ら、彼女らの成長の過程を暖かく見守り、機会ある度にお励ましの言葉を下さるよう、お願い申し上げます。

新入生のお一人お一人が三年、もしくは六年後、東奥義塾の教育に裏付けられ、決して変わることのない真理をしっかりと心に刻み、新しい時代の勝利者として、必要な知識と技能を身に付け、このキャンパスから力強く飛び立つことと固く信じ、式辞といたします。

202247

東奥義塾高等学校

塾長 コルドウェル ジョン

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