2022年4月8日 始業式 「神はこれを見て、良しとされた」
2022年4月8日 始業式
「神はこれを見て、良しとされた」
創世記1章1~10節
1節
初めに、神は天地を創造された。
2節
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
3節
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
4節
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
5節
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
6節
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
7節
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
8節 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
9節
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
10節 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
「自然」という言葉を聞くと美しい物を連想すると思います。野に花が咲き、鳥や虫の鳴き声が聞こえ、川に魚が泳いでいます。自然の美しさを守るために国は国立公園を作り、人の手が入らないようにします。しかし、どんな場合も、自然に任せた方が良い結果が生まれるとは限りません。くじ引きで音を選び、偶然に並んだ音で曲を作ろうとした作曲家もいましたが、雑音にしかならないのですぐに止めました。同じような発想で絵を描いた画家もいましたが、人を感動させる作品を作れませんでした。お片づけができない人が住んでいる家は、目も当てられない、ゴミ屋敷になります。天地創造が始まる前にあったのも、美しい自然界ではなく、だれも住みたいと思わない、しっちゃかめっちゃかで、何も見えない、真っ暗な所でした。
どのようにして、そのような不気味で怖そうな空間が、今の自然界に変わって行ったのでしょうか。自動車工場に爆発が起こった結果、部品がくっつき合って自動車ができたと言っても、誰も信じません。地球の猿を皆集め、一斉にキーボードを叩かせても、コンピュータのプログラムはできません。聖書によると、自然界は誰かの意思によってできたもので、そのようなことができるのは、あなたや私のような、命に限りがある、か弱い存在ではありません。聖書が描く天地造像は、私たちの想像を、はるかに超えた力と知恵を持つ神様から始まります。聖書は人間の物語でもありますが、その主人公は宇宙と、その中にあるすべての物を造った神様です。
聖書の神様は一人しかいませんが、創作意欲が強く、創造性も豊かです。暗くて何も見えないのは好みではありません。目の前にある物が雑然としているのも気に入りません。他に何もないのに神様に意識があり、意識があるから考え、考えるから言葉を言います。その言葉に力があり、言葉を言うと、その通りになります。現代の科学者は「意識」と言う物の存在がわかりますが、説明しろと言われると、とても困ります。「意識」はビッグバンの前からあった、あの神様という大きな存在の中にありました。その結果、原子でできた細胞の塊に過ぎない私たちにも意識があり、今ここで一年間の学校生活が始まろうとしていることを理解し、心の中でそのことを意識することができます。
昨日の入学式でも言いましたが、聖書の1ページ目に書いてある天地創造の物語は、私たちが何故、今日から学校で学びを始めようとしているかを教えてくれます。知識もなく、何も理解しないまま、人生を過ごすのがつまらないと考えた神様は、私たちの生活に光を当ててくれました。周囲にある物の区別が付くように、整理整頓してくれました。絵が上手い人は光と影をうまく使い分けますが、神様も明るい場所と暗い場所を区別できるようにしました。人間は哺乳類だから、水だけではだめで、空気を吸い込める、乾いた場所も必要です。神様は海と陸を分けて、人間が生活できる環境を作りました。
これは学校で学ぶことによく似ています。覚えた言葉を使って周りにあるものを区別するようになります。飛ぶ生き物は「カラス」と「スズメ」の二種類しかないと思う子供はアッと言う間に、「カモメ」もいれば、「ウグイス」もいると知るようになります。同じ人間でも、男と女がいることに気が付き、心に良い感情もあれば、悪い感情をあることを悟ります。人は何も知らないとひどく混乱して不安になります。進むべき方向が分からなくなり、暗い気持ちになります。東奥義塾で学ぶことによって、自分が何者であるかを知り、周りにいる人を不幸にする力もあれば、幸せにする力もあることを知って欲しいです。
人を不幸にするのは難しいことではないので、努力は要りませんが、幸せにするには努力が要ります。解体業者は何か月もかかって建てた家を一日で壊します。人を殺す方法を考えるのは簡単ですが、人の命を救えるようになるまで、研究や訓練を何年も重ねなければなりません。友だち関係を壊すには、一分の喧嘩で十分ですが、冷え切った関係を元に戻すには忍耐と努力が要ります。
天地創造の物語を読むと、節目ごとに「神はこれを見て、良しとされた。」と書いてあります。これから一年先の自分が、今日から始まる学校生活を振り返って心に思うことは何でしょうか。全く同じ経験をする人は一人もいないと思いますが、皆、天地創造の神様に作られた人間です。同じように、「だれだれさんは一年を振り返って、良しとされた。」と言えるゴールに向かって動き出すのは今日からです。一生忘れない、有意義で実りある一年を過ごしていただきたいです。私たち教員も、同じ校舎で一緒に過ごせることを幸せと思い、精一杯、頑張らせていただきます。
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