2022年6月20日 礼拝説教 「園からの追放」

 2022620日 礼拝説教

「園からの追放」

創世記317節~24

17節             神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。

18節             お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる野の草を食べようとするお前に。

19節             お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

20節             アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

21節             主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

22節             主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

23節             主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

24節             こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

人は仕事に就く、つまり就職するのがめでたいことだと考えます。仕事がないことから生じる問題は、食べていけないことばかりではありません。仕事をして社会の役に立っていると思わないと、人はとても辛い思いをします。しかし、エデンの森から出て来た最初の人間にとって、仕事はちっとも楽しいものではありませんでした。禁じられた実を食べたアダムは、エバと違う罰が与えられ、「生涯食べ物を手に入れるために苦しむ。」と言われました。エバはアダムに頼り、言う事を聞かなければならなくなりましたが、アダムはそのエバと、エバが産む子供たちを養い、食べさせる義務を負うことになりました。

アダムとエバは木の実に代わって野の草、つまりコメや麦などの穀物を食べるようになりました。農業機械ができてから穀物を育てるのは楽になり、先進国の場合、人口の23パーセントしかいない農家が全人口を、余裕で食べさせることができるようになりました。しかし、産業革命以前は食料不足が起きないように、人類の大半は農業や漁業をして、働かなければなりませんでした。近代になって機械化が進むまで、女性が労働しなければならないのは不幸なことで、専業主婦でいられるのはむしろ幸せなことでした。

英語には仕事や職業を表す言葉がたくさんあります。そのまま日本語になっている言葉もありますが、日本では「ジョブ」という言葉はあまり聞きません。就職することを一般的に「ゲット・ア・ジョブ」と言いますが、この言葉のイメージはあまり良いとは言えません。進路指導は「キャリア・ガイダンス」と言い、人に職業を聞く時は「プロフェッション」とか、「オキュペーション」を使った方が相手に喜ばれます。

「『ジョブ』はお金がもらえないと絶対にやらない事」という説明を聞いたことがありますが、「仮に生活費が保証されたら、この仕事を続ける気になれますか?」は大人にとって大事な質問です。今の自分なら「はい」と言えますが、かつては教員としての仕事が上手く行かず、「自分の存在が生徒を不幸にしているのではないか?ここから自分が消えた方が皆、幸せになるのではないか?」と思って悩んだことがあります。当時は若手教員より、同じ年齢のトラックの運転手の収入が高かったので、運送会社を経営している友だちに転職の相談を持ちかけました。「教員は絶対に辞めるな」と説得されたので今もここにいますが、この仕事を「ジョブ」と感じた時期もあり、「キャリア」として誇りに思えるようになったのは数年後のことでした。

エデンの園にいたアダムにも仕事がありました。2章の15節を読むと、「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」と書いてあります。つまり神様はアダムにエデンの園の管理人という、生き甲斐のある仕事を与えました。園を耕して守るのはアダムの義務でも、生活するための手段でもなく、神様から与えられた職業、つまり天職でした。この素敵な園の管理は、いつも交流がある神様との共同作業であり、アダムの生き甲斐でした。神様から与えられた大事な仕事だと理解し、自分からやろうという気持ちが湧いて来たので、仕事によるストレスはありませんでした。

神様との関係が絶たれ、園から追い出されたアダムに強いられた仕事とは大違いでした。ここからの聖書のメッセージは、この状態から人間が救われ、神様と連携を組み、喜んで取り組める天職に戻る道があるということです。この学校で学びながら、その道を求めて欲しいと思います。

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