2023年10月23日 礼拝説教 「心の底から湧き出る水」

 20231023日 礼拝説教

「心の底から湧き出る水」

出エジプト記171節~7

1節           主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。

2節           民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」

3節           しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」

4節           モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、

5節           主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。

6節           見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。

7節           彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。

 荒野での旅が終わってから、約束の国に入ったイスラエル人は畑を耕して家を建て、年がら年中、同じ場所に住むようになりました。しかし、生活が楽になった彼らは、毎年9月の終わりごろから10月の初めにかけて一週間、野外に出てキャンプ生活のようなことをしました。この時期に、神殿があるエルサレムに行くと、都の周りに野外生活をしている巡礼者が大勢いました。「仮庵の祭」と言うようになったこの行事を守ることによって、先祖たちが荒野で体験した不便な生活を忘れないように努めました。

 エルサレムの都にかなりの高低差がありますが、一番高い所に神殿があり、一番低い所に湧き水を溜めるシロアムの池がありました。仮庵の祭が続く七日間、シロアムの池から水を運び、神殿の中にある祭壇の横に注ぎ出す儀式が行われていました。水のない荒野を渡った時、岩から水が湧き出て、神様から水を飲ませてもらったことの記念として行いましたが、祭の最後の日にこの儀式を七回繰り返しました。

 新約聖書時代に入り、エルサレムの神殿にナザレのイエスがやって来ました。一番盛大なお祝いがあるこの最後の日、水を注ぎ出す儀式が行われる正にその時、大声を出して皆の前で言いました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

厳粛な儀式中に大声を出したイエス様は大ひんしゅくを買いましたが、その時から数か月前、水を汲みに井戸に来た女性に同じようなことを言いました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

お腹がすいてもしばらくは我慢できますが、水がないとすぐに死にます。荒野にいるイスラエル人が体験したのはのどの渇きという切実な問題で、彼らは命の危険に晒されました。この時に神様の奇跡があり、死を免れましたが、ローマの支配下にあるイスラエル人を見渡したイエス様は、儀式に参加する人たちの魂が渇いていることに気付きました。先祖から伝わった伝統を機械的に行う彼らの表情に夢も感動もなく、生き甲斐も見られませんでした。

イエス様は人間の正体を見抜いていました。生活に余裕があり、家族も友だちもいるのに、心の底から湧いて来る喜びを味わえない人たちがたくさんいる。欲しい物が手に入ると、一瞬は心の渇きが癒されたように思っても、何日もたたない内に同じ渇きが戻って来る。楽しそうなことに夢中になっていても、興味が薄れてくるとまた空しい気持ちが戻り、新しい刺激を探し始める。

人間が本当に必要としているのは物や刺激から来る一時の幸せではなく、一人ぼっちであっても、皆が当たり前に持っている物を、自分だけが持っていなくても、変化も刺激もない日々が続いていても、健康的に優れない所があっても、自分が神様に愛された貴重な存在であると意識しながら、その日の務めを果たす力となる、内側から湧いて来る物が何よりも大事だと知っていました。

水も潤いもない、荒野を旅しているように思えても、そこには水が湧いています。「わたしのところに来て飲みなさい。」と言って招いてくださる方がいます。このことを信じて一日の務めに向かうようにしましょう。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」