2021年5月10日 礼拝説教 「一番偉い人」

 

2021510日 礼拝説教

「一番偉い人」

ルカによる福音書222430

24節          また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。

25節          そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。

26節          しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。

27節          食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。

28節          あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。

29節          だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。

30節          あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」

有名人が引退して、キャリアを振り返って書く書物を回顧録と言います。正義の味方として自分を描き、都合の悪いことを省略することが多いので、鵜呑みにしてはいけないジャンルの文学です。しかし、四つの福音書はイエス様の弟子たちの思い出に基づいて書かれたにも関わらず、弟子たちを恰好よく見せようとする努力は感じられません。事実を飾ろうとしない、真っ正直な書き方は聖書が持つ説得力の一つです。ここまで自分たちの情けなさを晒すなら、「本当のことを書いているのだろう。」と読者に思わせます。

最後の晩餐に席順があり、イエス様が処刑される前夜だというのに、弟子たちは座る場所を巡って争っていました。以前からこのような行動を諫めてきたイエス様は、今になっても治らない有様に心を痛めました。正直に書いたと言いましたが、実を言うと、弟子たちはこの時に起きたある事実について長い間、口を閉ざしました。殉教せずにただ一人、高齢まで生き延びたヨハネは晩年にそれを明かしました。ヨハネが書いたのは、それまで隠されていた、イエス様の公になっていないエピソードをまとめた、最後の福音書でした。その中に、他の弟子たちが恐れ多くて言えなかった、師匠であるイエス様に足を洗ってもらったという話が含まれています。

 格式が高い家の晩餐なら欠かせないのは、招待客の足を洗う僕、又は奴隷の存在でした。サンダルのような履物で埃っぽい道を歩いて来た客が、食卓に着く前に足を洗ってもらう習慣がありました。貧しかったイエス様とその弟子たちはそのようなサービスを受ける術はありませんでしたが、席順を争う弟子たちの姿に危機感を覚えたイエス様は思い切った行動に出ました。上着を脱いで奴隷の恰好になり、弟子たちが座っている位置を回り、次々と彼らの足を洗い始めました。抵抗する弟子には「後になったらこの意味が分かるから、今はこのようにさせてくれ。」と言いました。

ユダヤ人には12の部族があり、イエス様には12人の弟子がいました。これには、イエス様がユダヤ人の王になると弟子たちが皆王座に就き、1部族ずつ治めるという意味が含まれていました。イエス様に見切りをつけたユダを除く弟子たちは皆、この夢の実現を楽しみにしていました。しかし、神の国の到来を語るイエス様は、彼らが思い描いていたような国家を設立するつもりはありませんでした。

イエス様は次のように言いました。「私たちは権威についての常識を逆さまにするのだ。人に仕える人が一番偉い人間になる世の中を作るのだ。偉くなりたい人は、身分の一番低い人がすることを進んでやるようにしなさい。その模範を示したのは私だ。互いに同じようにしなさい。」主権は皇帝や王様にではなく、一般国民にあり、一番偉いのは人を動かす人間ではなく、額に汗して働く労働者だという思想の種が、この時に蒔かれました。歴史が進み、徐々にこの考えが支配的になり、旧体制を転覆させるようになりました。前文から始まって日本国憲法を読み直してみてください。ルカによる福音書と読み比べると、その隅々にイエス様の教えがちりばめられていることに気が付くと思います。

今から32年前、27歳の若い教員として東奥義塾に勤めた時、山岳部の顧問になるように指示されました。しかし、若くて体力があるからと言って山を登れるとは限りません。フル装備で2030キロ背負って登るには、山登りのコツを覚えなければなりません。大学によく見られる光景でしたが、旧態依然の山岳部はひどいもので、一年生が背負う荷物を山積みにしてしごくのが当たり前でした。しかし、先輩の顧問である伊藤護先生は私たちに次のように教えました。「東奥義塾の山岳部は山に来ると登る前より、山をきれいにして下山する。1年生は先輩に荷物を背負ってもらい、2年生は自分の荷物を背負い、3年生は後輩の荷物を背負う。強くなって人の分まで背負える部員が一番偉い。」これがイエス様の教えを受けた学校に相応しい部活動だと思い、感動しました。皆様が所属している学級や部活動はどうなのか、これを機会に考えてみてはいかがでしょうか。

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