2020年10月5日 礼拝説教 「すべてを捨てた人たち」

 

2020105日 礼拝説教

「すべてを捨てた人たち」

ルカによる福音書182834

28節              するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。

29節             イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、

30節             この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

31節             イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。

32節             人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。

33節             彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」

34節             十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

前回は財産を手放せなかったため、イエス様の弟子になれなかったお金持ちの話をしました。お金持ちが弟子になるのは大変なことだという結論が出ましたが、それまで話を聞いていたペトロは黙っていられなくなりました。「お金持ちに同情するのも良いが、私たちも大変だったよ。」努力を認めてもらえない子供が憤慨するかのように、ペトロは何もかもを捨てて弟子になった、自分たちの犠牲と覚悟の大きさをイエス様に訴えかけました。

新約聖書の中で、ペトロほど生々しい形で性格の描写を受ける人はいません。とても衝動的で、思ったことをすぐに口に出し、思いついたことを考えずに行動に移す人でした。大胆そうに見えて、いざとなると臆病になる性格で、新約聖書の読者のなかに、ペトロに特別な親しみを感じる人たちが多くいます。

「わかっているよ。わかっているよ。家、妻、兄弟、両親、子供を捨てて私について来たのよね。この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受けるから心配しないでね。」このようにしてイエス様はペトロをなだめましたが、すぐに話題を変え、今、旅をしながら向かっているエルサレムで何が起きようとしているかについて話し始めました。

「自分は同国民から濡れ衣を着せられ、謀反を企てた者としてローマ人に引き渡され、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられ、鞭打たれてから殺される。」まず、そのことが起きなければ復活もなければ、神の国もやって来ない。弟子たちが命を落とすことはないが、師匠のイエス様はただ一人、死に方としてこれ以上にむごい形がない方法で命を奪われようとしていました。このようにしてイエス様は、甘い夢を見ようとする弟子たちの気持ちを引き締め、何故、自分の弟子になる条件がそれほど厳しいのか、納得させようとしました。

当時の世の中を支配していたローマ人から見ると、この教えはナンセンスの極みでした。ローマ人は弱く、貧しい者であることに何の徳も認めませんでした。強いローマ人が他の弱い民族から富を吸い上げ、戦争で負けた彼らを奴隷にするのを当たり前に思い、この考え方がローマ帝国の強さでもありました。貧しい人や、囚われている人たちが誰よりも幸せになる運命があり、誰よりも彼らを大事にすべきだと教えるイエス様を、心の底から軽蔑していました。しかし、その後、ローマ帝国が次第に弱くなって滅び、それに代わって徐々に、徐々にではありますが、イエス様の教えの影響を深く受けた社会が作られて行き、現代に至っています。

宗教改革、啓蒙運動、フランス革命、奴隷制度の廃止、ロシア革命、女性参政権運動、公民権運動、冷戦の終結などを見ると、際立った長所と短所があったとしても、どれも大なり小なり、イエス様の教えの実現を目指したものでした。近代の運動の例外と言えば、ヒットラーが指揮した、ナチ・ドイツに代表されるファシズムでしょう。

今もごく少数のネオナチと呼ばれる人たちもいますが、ヒットラーが悪魔の化身だったという見方は世界のどこに行っても支配的です。今もスターリンを支持するロシア人や、毛沢東を支持する中国人がいるのに、ヒットラーがだれからも毛嫌いされるのは何故でしょうか。優れた民族が周囲の劣った民族を支配する権利があると主張し、社会の役に立たないと見た障がい者や理想に適わない人たちを抹消し、最後は一つの民族を絶滅させようとした彼らの思想を肯定する人を探してもなかなか見つかりません。 

それは何故でしょうか。一つの答えとして、イエス様の教えが二千年近い時間をかけてもたらした社会変革の真逆を主張していたからだと言えます。東奥義塾に来て初めて聖書を手にした生徒も多いと思いますが、現代の世の中で当たり前だと思われていることの多くは、聖書に書いてある、自ら敗者となり、損をする道を選んだ、イエス様の言葉に由来することを心に留めてください。

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