2025年5月28日 礼拝説教 「平和を実現する人」
2025年5月28日 礼拝説教
「平和を実現する人」
7節
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8節
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9節
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
小学生の男の子は強い物に憧れます。少なくても、小学校時代の私はそうでした。大人のような大胸筋が欲しいと思って筋トレまでしましたが、どんなに頑張ってもマッチョになれるはずがなく、やせっぽっちのままでした。平和が大事だ。戦争は良くない。大人たちは口癖のようにそう言っていましたが、それを聞いた私には白々しく聞こえました。戦争をテーマにした映画や物語が大好きで、ニュースで戦争報道を聞くと悲しくなるどころか、ワクワクしました。
表向きに戦争は良くないと頷き、周囲の人たちに合わせていましたが、本心では鉄砲や戦闘機が恰好良いと思い、心に抱いていた愚かな妄想の中で、敵国の軍隊を打ち負かし、世界征服を果たしていました。「無邪気な少年」という言葉ありますが、あのまま大人になっていたら、間違いなく世の中を不幸にする人間になっていました。大人になる過程を進む中で少しずつ分かってきました。鉄砲や戦闘機はそもそも人を殺す道具であり、その使用は一番守らなければならない、身近な人を最も不幸にすることです。
しかし、今の世界情勢を見ると「無邪気な少年」どころか、「恐ろしい少年」のまま大人になり、国のリーダーになって行く事例が多く見られます。敵国に嫌われても自国民の憧れの対象となり、その人気はウナギ登りです。恐ろしい姿のまま大人になった少年にばかり問題があるとは言えません。一番厄介なのは、その言葉に煽られる、一般的な人間です。
「敵に容赦してはならない!断固戦うべし!」緊急時に大衆はこの類の話に乗ります。平和の実現に努力する人は弱腰とされ、評判はむしろ落ちて行きます。しかし、イエス様が幸せになると言った人たちを見ると、容赦することなく勇敢に敵を破る人ではありません。負けた相手に並外れた親切を示す、哀れみ深い人です。表も裏もなく、相手の幸せを素直に願う、心の清い人です。どちらか一方のヒーローになることを拒み、戦いが止み、両サイドが納得できる平和を作ろうと地道に努力する人です。イエス様はこのような人たちこそ、幸せになると教えています。
これは私たちにとって、どのような意味があるでしょうか。世間が格好良いと言って、もてはやす人間が必ずしも幸せではないという事を心に留める必要があります。いかなる理由があっても、戦争が続き、立場の弱い人が日々殺され、苦しめられていることに対して素直に怒る必要があります。戦争が始まることを前提に話す政治家の強がりに違和感を持つ必要があります。80年も平和国家として歩んできた日本に対して誇りを持ち、戦争好きな大国に振り回されない、平和を実現する国の市民として、世界をリードする意識を自分の中で育てるべきです。
今日も旧約聖書の箇所を読んで終わります。国連本部の壁に刻まれているイザヤ書の言葉です。その言葉を一緒に噛みしめていいただきたいと思います。「多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と・・・主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」
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