2025年6月9日 礼拝説教 「天に報いがある人」
2025年6月9日 礼拝説教
「天に報いがある人」
10節
義のために迫害される人々は、幸いである。
天の国はその人たちの物である。
11節
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
12節
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたの前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
「あなた、皆に嫌われているよ。」人の心に傷を付けようと思うなら、これ以上にきつい言葉はありません。特定の人に嫌われるのは仕方ないとしても、皆に嫌われていると聞くと、自分の存在を消したくなってしまいます。冷静になって観察すると、しばしば、本当に嫌われているのは言われた本人ではなく、その言葉を浴びせかけた人の方です。いじめグループのボスと、仕方なく調子を合わせている手下となると、なおさらのことです。
自己中心的な行動が原因で嫌われるなら、反省して改めるほかはないでしょう。しかし、これと言った理由が思い当たらないなら、今日、読んだイエス様の言葉を心に留めておくのも良いかもしれません。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。かつて、神様に一番喜ばれた人たちも、同じような目に合わされました。」
イエス様が言う、この一番喜ばれた人たちというのは、旧約聖書の預言者たちのことでした。後の時代になって彼らこそ本当に立派な人間だったということで、皆の意見が一致しました。しかし、それは後になってからの話で、生きている間は都合の悪い、目障りな存在として疎まれ、遠ざけられ、命まで狙われました。彼らの評価は人間からではなく、神様から与えられたものであり、「天には大きな報いがある」人たちでした。つまり、生きている間は、何の報いもなかったということにもなりますが、この人たちはそれで良いと考え、人の評価より、神様の評価を大事にしました。
イエス様のこの同じ教えが書かれているルカによる福音書には、預言者と並んで、偽預言者の話も出て来ます。「偽預言者」と言うと胡散臭い、怪しげな人を思い浮かぶでしょうが、生きている間は大変な人気者でした。現代風に言うと、マスコミがもてはやすような人たちで、権力者が競って召し抱えようとしました。一般人の手に入らない、神秘的で高尚な知識を持っている人として一目置かれ、偽物だとわかったのは何年も後のことでした。
いつも輪の中心にいて、皆を笑わせている人を見ると、羨ましく思うのは当然のことです。周囲の人たちの評価が高かく、幸せそうな人に見えるからです。その人たちこそ、勝ち組の人間と思われがちですが、彼らの輪に入って行けない人たちはどうでしょうか。自分たちが負け組で、いつまでも幸せになれないと思って、諦めるべきでしょうか。
そのように悩んでいるなら、まずは自分の心をじっくりと見つめてください。嘘のない、言葉と行動が一致した、正直な思いがありますか。当たりくじを人に譲り、自ら貧乏くじを引く余裕はありますか。受けの良い言葉ばかりではなく、本当の事をはっきりと言う勇気はありますか。今日、読んだイエス様の言葉によると、これらの問に頷けるなら、あなたこそ、「天に大きな報いがある」人です。
もう少し先に進むと、イエス様は地上の宝とは違う、「天に蓄えた宝」の話をします。目に見える宝は消えてなくなりますが、いつまでたってもなくならない、天の宝があると言います。人の言葉や評判にいちいち振り回されない、本当の強さを身に付けられるなら、あなたこそ、誰よりも幸せな人間です。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」今日は、このような報いを手に入れるように心がけましょう。
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