2025年5月12日 礼拝説教 「悲しむ人」
2025年5月12日 礼拝説教
「悲しむ人」
1節
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
2節
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
3節
「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
4節 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
5節
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
6節 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。」
人は皆、幸せになりたいので、満たされない思いや、悲しい気持ちをなるべく避けようとします。避ける方法はいくらでもありますが、一般的な物は、好きな音楽を聞いたり、美味しい物を食べたり、ゲームやチャットに夢中になったり、気の合った仲間とおしゃべりをすることです。この程度のことで済むなら問題はありませんが、上手くいかないことが重なると、イヤな思いが消えなくなり、もっと強い快感を求め始めます。
ポルノやギャンブルに時間を費やす人もいれば、お酒やタバコを初めとする、薬物を頼りに快感を求める人もいます。どれもこれも、ごく短い時間に限って、脳の中に大量のドーパミンを発生させ、強い快感を与えます。この気持の良さを幸せと捉える人が多くいますが、困ったことに、この快感の後に来る反動も強く、平常心に戻るとイヤな気分や、満たされない思いが倍返しになって帰ってきます。
正常に機能すると、人の脳は、辛い思いと幸せな思いのバランスが取れるように上手くできています。辛い思いに耐えたり、苦労を重ねたりして一定の成果を上げると、それまでの苦しい思いが消え、とても幸せな気分になります。この過程が上手く循環するようになると、良い気分が更に努力する動機として働き、もっと大きな幸せにつながります。中毒にはまる人は、この幸せのサイクルに入れないままイヤなことから逃げ、苦しい思いをせずに快感だけを求め、負の渦の虜になってしまいます。
先月の礼拝で話しましたが、口を開いて語り出したイエス様の最初の言葉は、心の貧しい人が幸せだという事でした。それに続いて、悲しい人も、満たされない人もそうだと言いました。ルカによる福音書を読むと、今、笑っている人や満たされている人はむしろ不幸とまで言っています。選択の余地さえあれば、泣く人にも、お腹を空かしている人になりたいとは思いません。イエス様は一体、何を言いたかったのでしょうか。
まずは、悲しい現実から逃げることなく、満たされない思いに真正面から立ち向かうように教えています。人が現実逃避する理由には、単に怠けているからではなく、色々やってみたがダメだったという絶望感もあります。まわりの現実に目を覆いたくなる物もあれば、自分の心にも耐えられないほどの醜さがあります。できれば目をそらし、気分を良くする物にだけ注目したいです。
しかし、そのような私たちにイエス様は言っています。「あなたの悲しみや、満たされない思いを正直に認め、私の所に持って来なさい。これまで頼ってきた、嘘の幸せしか提供しない物に別れを告げなさい。悲しむあなた。満たされない、モヤモヤした気分に悩むあなたこそ、必ず幸せになる。嘘だと思ったら、試しにでも良いから、私の言葉を信じてみなさい。」
今日も最後に、旧約聖書の詩編の言葉を読みます。30編の12節と13節です。「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、悲しみの象徴として着る喪服を脱がせ、祭の時に付ける喜びの帯を腰に巻いてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い、わたしの心は黙っていられなくなり、沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、わたしの主よ、とこしえにあなたに感謝します。」
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