2025年3月13日 終業式 「もはや悲しみもない」

  2025313日 終業式

「もはや悲しみもない」

黙示録211節~4節、2220節、21

1節                  わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。

2節                  更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。

3節                  そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、

4節                  彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

22

20節             以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。

21節             主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。

今日は、皆様に塾長としてお話する最後の機会になります。四月から塾長になる井上先生から新しい任務をいただき、高校の新一年生の学級担任として再スタートすることになりました。ステージの上ではなく、皆様と同じ席に着いて礼拝に参加することになります。礼拝担当が回って来ることもあると思いますが、今までに比べると回数は減ると思います。

先日卒業した三年生が三年前に入学した時、聖書の最初の言葉を開きました。今日、お読みしたのは聖書の最後の言葉です。「初めに神は」から始まる聖書は、「わたしはすぐに来る。」というイエス様の約束の言葉で結んでいます。

教会に行くと、死んだ後に天国に行くという話をよく聞きます。お年寄りの中に、イエス様に会うのが楽しみだと言う人もいます。信仰者のゴールは死んでから天国に行くことだと考えている人も多くいます。しかし、聖書を注意深く読むと、そのようなことはほとんど書いていません。最後に近いページを読むと「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」場所について語っています。これが死んだ後に行ける天国のことでしょうか。

「聖なる都、新しいエルサレム」を天国と解釈しても良いと思いますが、地上から離れて行く場所としてではなく、地上に降りて来る、神の国として描かれています。この都が来ると、神様ご自身が人と共に住むようになり、私たちの「目にある涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」と書いてあります。待ち遠しい思いをして作者は次のように声を上げています。「アーメン、主イエスよ、来てください。」

三年間、中国に暮らした時に聞かされた話を思い出します。「文化大革命の時に個人の所有物まで奪われた時代がありました。その後は対照的に、西側諸国より厳しいとも言われた、資本主義が始まりました。共産主義の理想を捨てたのかと言う声が聞かれるなか、当時の温家宝首相は次のように言いまいした。「私たちは今、共産主義という夢に向かう途中です。この現状は夢が実現するまでの通過点に過ぎません。共産主義の夢を果たすには何十年、いや、百年もかかるかもしれません。」

私は共産主義者ではなく、イエス・キリストを信じる人間なので、この話を聞いた時に思い出したのはイエス様の言葉でした。「然り、わたしはすぐに来る。」これは百年どころか、千九百年以上も前の言葉です。何が「すぐに来る」ですか。「イエス様、遅くないですか。」文句を言いたくなるような年月です。

「アーメン、主イエスよ、来てください。」イエス様を信じる、数多くの人たちが二千年近くも祈り続けて来た言葉です。貧しくて、食べる物がありません。主イエス様どうか、来てください。病気に苦しんでいます。どうか、来てください。戦争が終わることなく続き、今日も爆弾が落ちています。イエス様どうか、来てください。

今になっても戻って来なかいイエス様の言葉は嘘でしょうか。イエス様を信じている人間として言います。時間がいくらたっても「すぐに来る」というこの言葉を信じ続けます。「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」時が必ず来るという希望を決して捨てません。一時的な撤退があると敗戦のように見えても、長期戦では勝利が約束されています。すべてが悪い方向に向かっているように見えても、確実に良くなる未来につながる希望は、キリスト教信仰の根底にあるものであり、これだけは絶対に譲れません。

皆様にとって2024年度はどのような年でしたか。成績を伸ばそう。提出期限を守れるように課題にすぐに取り組もう。部活で頑張ろう。友だちの輪を広げて皆と仲良くしよう。夜更かしはやめて早起きしよう。間食を我慢して健康的な体型を維持しよう。ネット依存から脱却して効率的な時間の使い方に努めよう。整理整頓に励んで物をなくさないようにしよう。色々な目標を立てて新年度を迎えたと思いますが、果たせた目標はいくつあるでしょうか。

お正月になると一年の抱負を語るのが好きな人がいます。今年こそは変わろう。今までと違う一年を過ごそう。見違えるほど成長した自分を夢見ながら、意気揚々と動き出します。皆様と同じ年齢の頃の私もそのような事をしていました。しかし、ある時期になってやめました。決めたことを一ヶ月も続けられない自分に何度も絶望している内に、抱負を語ることに嫌気がさしたからです。

世界レベルでスケールの大きい話をしても、個人的な生活の極小さなレベルで見ても、よくなろうと決める人間はすぐに躓きます。平和な世界を作ろうと言っても、すぐにまた殺し合いを始めます。温暖化を防ごうと心を一つにしたはずなのに、経済的な犠牲を伴うことに気が付くとすぐに撤退します。世界の皆が豊かになれるように自由に貿易しようと決めても、都合が悪くなると逆戻りします。

世界のリーダーたちを見て笑うのも良いですが、彼らの言動は、同じ人間である私たちの姿を映し出しているに過ぎません。他の誰にもわからない、失敗続きの生活をしている自分がここにいます。このような自分に見切りをつけ、良くなって行けるという希望を諦めるべきでしょうか。

成績も欠席日数も一年単位で計算するので、年度の変わり目にこのようなことをよく考えますが、生活は一日ごと、一時間ごと、一分ごとに進みます。一日に何回躓いても、起き上がる機会も同じ回数だけあります。来年度は今年度と違う一年にしようと決心しても、一週間も持たない自分がいるのが現状です。しかし、東奥義塾に集う私たちには、毎朝、そのような自分と向き合う礼拝の時間があります。現状を嘆くだけではなく、「すぐに来る」と約束したくださった方に祈りをささげて自分をリセットできます。

春休み中は、新年度に向けて大きな夢を膨らませてください。夢の通りに行かないと分かっていても、夢がない人に比べると、はるかに良い一年になるのは間違いありません。躓いたら自分に絶望することなく、すぐに起き上がってください。家族も教員も仲間も応援していますが、その背景にいる神様も、お一人お一人の背中を押しています。四月の初めに元気よく再会しましょう。

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