2022年1月31日 3学年終業礼拝 「変わりゆく世相に備えて 強くなりなさい」
2022年1月31日 3学年終業礼拝
「変わりゆく世相に備えて
強くなりなさい」
ルカによる福音書22章36節
「・・・剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。」
政治家は選挙の時に投票してもらえないと政界から追われるので、有権者の支持をとても大事にします。そのため、選挙演説で不快感を与えるかもしれない本音を隠し、万民に受けの良い話をしようとします。このような話は問題の本質を避け、深みのないものになる傾向があり、選挙以外の時に政治家の話を聞きたいと思う人はあまりいません。面白い話をするのは、当選するか否かをあまり気にしていない政治家です。本当の事を聞くと心が傷つく人が多いので、真実を語るにはいつもリスクがあります。
かつて、奴隷解放や拷問の禁止など、絶対的な価値観に関わる政治課題がありましたが、近ごろの政治家の議論を聞いていると、白黒がはっきりしているものは少なくなっています。大きく分けると、強い国家の実現を優先させるか、国民の日常的な暮らしを優先させるかの議論です。どちらも必要なので、結局はバランスの取り方の問題です。私は信仰を基準に投票することが多いです。政治家を宗教で選ぶという意味ではありません。しかし、誰よりもナザレのイエスの生き方を理想にしているので、「現代の日本社会にナザレのイエスがいたら何を言うだろうか。」と考えながら、政治家の話を聞きます。
多くはいませんが、時々、「この政治家にイエス様の姿が重なって見える。」と思うことがあります。新約聖書時代もそうでしたが、そのような人物が現れると都合の悪い人もいます。そのため、足を引っ張り、誹謗中傷する人が現れます。イエス様が最終的に十字架に付けられたのと同じように、政治的に抹消されることが多いです。しかし、非難を恐れないで語り続ける勇気があるなら、聞く人の心に真実は響きます。選挙に負けてもメッセージの要点が伝わり、次の機会に活かされます。有権者になる皆さまに、政治家を正しく見分ける目を養って欲しいと思います。
スポーツの試合と政界の選挙に、似ている部分がたくさんあります。どちらにもポイントを奪い合う競技者がいます。点数に差が開く場合もあれば、接戦になる場合もありますが、一点でも多い方が勝ちます。審判が結果を告げると勝者は喜び、敗者はいくら悔しくても負けを認めます。仮に負けを認めない敗者がいると、スポーツの純情な高揚感も、民主主義の権威ある信頼感も汚され、大人社会に相応しくない態度と見なされます。
日本にいる私たちがこのような光景を見るのがめったにないのは幸せなことです。このような事態に陥るのは民度が低い未開発国で、高尚な文明国にはないことだと信じてきました。2021年は、民主主義勢力が圧勝した選挙の結果を帳消しにする、軍事クーデターが起きた年でした。世界各国は非難の声をあげましたが、民主主義を守ろうとする活動家を支える術はありませんでした。「軍事独裁が続いてきたレベルの低い国だから…。」と諦める人もいたかもしれませんが、経済的にも、軍事的にも世界を圧倒する力を持つ国の大統領選で、敗者が負けを認めず、支持者の半分以上が選挙を不正に奪われたと叫び続けると、深刻な事態を迎えたと悟るべきでしょう。これは正に、次の選挙シーズンに向かうアメリカの現状です。
ところで、これまで読んできた福音書に基づいて考えると、イエス様は現代の日本が軍備を持つことについてどう考えるでしょうか。キリスト教徒は300年間、政権を預かることのない迫害された少数派だったので、新約聖書に国の治め方についてほとんど何も書いていません。イエス様が逮捕された時、ペテロに「刀を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言ったので、軍備を持たない平和主義を唱えたと考える人もいます。しかし、「剣を捨てなさい。」と言ったのではなく、「剣を鞘に納めなさい。」と言ったことに注目する必要があります。逮捕の数時間前、弟子たちに「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。」と指示しました。
戦う力がない者が戦わない道を選んでも、特に誉められたことではありません。戦わない勇気が称えられるのは、戦う力があっても平和の道を選ぶ者です。弱虫は正義の味方になれません。正義の味方はいつも、敵を撃破できる強い存在です。それは体力や武力に限ったことではありません。学校にいると、人類最高峰の思想をじっくりと読み、自ら思考することを学び、思ったことを論理的にまとめ、言葉や文書として発信する力を身に着ける機会に恵まれます。残念なことに、その機会を逃し、弱いまま卒業して行く人もいますが、読書し、思考し、論理的にまとめて発信する力を付けるなら、信じられないほど強い人間になります。高校生として過ごすこの時期と、進学先で過ごす今後数年は、正義の味方として世界を良い方向に導く力を着ける、またとないチャンスです。何があってもこの機会を逃さないでください。
私が最初に東奥義塾に勤めた一九八九年に、世界は大きく動きました。中国では天安門事件があり、ドイツではベルリンの壁が崩壊し、日本では日経平均株価が四万円近くまで跳ね上がりました。しかし、何よりも印象的だったのは、冷戦の終結でした。私が生まれる前の1947年から42年間、二つの核武装した巨大勢力、アメリカとソ連はにらみ合い、世界を何度か核戦争の危機に晒しました。冷戦が終わった頃、「歴史はこれで終わった。」と言う専門家もいました。つまり、国同士で勢力を争う人類の歴史に幕が下り、これから世界のどこもが、市場経済を持つ平和な民主主義国に変わると予想しました。
予想をあざ笑うかのように、9・11に代表されるイスラム原理主義の台頭が始まりました。古代の価値観を現代に持ち込み、政教分離の概念がない彼らの攻勢は、冷戦以上に世界のリーダーを困らせました。対処の方法として、イスラム教徒の少数民族を収容所に入れ、主流の文化や思想に同化させようとする中国のやり方もあれば、テロ撲滅を建前に一般市民を何万人も犠牲にしながら徹底した爆撃を行い、数か国を破壊するという、アメリカのやり方がありました。
イスラムへの対処法について批判合戦が続く中、台湾問題を機に新しい冷戦の兆しが見えてきました。40年近く前から北京政府を、一つの中国の正統な統治者と認めながら、「台湾に手を出すな」と牽制してきたアメリカの立場的矛盾が、中国の思惑との衝突に発展する可能性が増しています。第一次冷戦の場合、日本はソ連ではなく、アメリカにつくのは自明の理でしたが、今、話題になっているアメリカ対中国の第二次冷戦が始まれば、日本はとても辛い立場に置かれます。
日本の国内法を超越してまで、アメリカに主導権を握らせている日米安保体制に沿った動きを取るなら、1500年以上も深い文化交流が続いた近隣国と対峙することになります。安易に中国を敵と見なし、アメリカにつくのは慎むべきことでしょう。日本の都市の無差別爆撃や、原爆投下を実施したアメリカとは対照的に、中国は日本に直接危害を加えたことのある国ではありません(元寇はモンゴル人)。太平洋の反対側から来た、付き合いの浅い異文化国との関係を優先させ、長い付き合いがある、民族的にも文化的にも近い、近隣大国と冷戦状態になるのは賢明なことでしょうか。
皆様が社会人になって家庭を持つようになった頃、これまで想定してきたことが通用する保証はありません。東奥義塾で時代を超えた、人種に捕らわれない、普遍的な真理に触れることができました。これを土台に学び続けてください。戦う必要のないように、戦う備えをした強い人間になり、自己の鍛錬に励んでください。輝かしい冒険とスリルに満ちた人生が待っていると信じています。卒業生の活躍と幸せを心から願います。ご卒業、おめでとうございます。
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