2025年10月27日 礼拝説教 「熱病のいやし」

 20251027日 礼拝説教

「熱病のいやし」

マルコによる福音書129節~39

29節       すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。

30節       シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。

31節       イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

32節       夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。

33節       町中の人が、戸口に集まった。

34節       イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

35節       朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

36節       シモンとその仲間はイエスの後を追い、

37節       見つけると、「みんなが捜しています」と言った。

38節       イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

39節        そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 マラリアと言えば、どのような国を連想しますか。アフリカを中心とする、熱帯雨林がある地域が頭に浮かぶのではないでしょうか。しかし、それは近代のことで、古代ローマ帝国の至る所にマラリアが蔓延し、一時期は「ロ―マ熱」という俗称がつくほどでした。イエス様が活躍していたイスラエルの北部にあるガリラヤ地方は例外ではありませんでした。高熱、吐き気、頭痛を伴い、悪化すると死に至るこの病は地域住民にとって大きな悩みの種でした。

 近代科学のお陰で、蚊に刺されることによってマラリアに感染することが明らかになり、殺虫剤を染み込ませた蚊帳に入って寝ると感染を防ぐことができるという知識が一般的になりました。しかし、一枚6千円以上するこの種の蚊帳は、貧困に苦しむ多くの人たちにとって、手の届くような商品ではありません。特に妊婦や子供が感染しやすく、未だに世界全体で毎年3億人くらいが感染し、幼い子供を中心に70万人以上が死亡します。

世界保健機関はマラリアの撲滅を重要視していますが、多くの国でマラリアは生活の一部として見られ、風邪のような扱いを受けるので、撲滅運動がなかなか進みません。経済学者の多くは発展途上国がなかなか貧困から抜け出せない理由の一つとしてマラリアの存在をあげています。

カファルナウムの会堂を出たイエス様は、後にペトロという名前で呼ばれるようになり、一番弟子のような存在を占めるようになったシモンの家に入りました。シモンには奥さんがいて、奥さんのお母さんは高熱に苦しんで寝ていました。この地方の歴史に詳しい方たちの間で、これはおそらくマラリアだったという見方が強いです。イエス様が近づいたらマラリア菌がどこかに飛んで行ったのでしょうか。それとも、イエス様に具合が悪いのを忘れさせる不思議な魅力があったのでしょうか。もっと懐疑的な見方をするなら、たまたま熱が自然に冷めるタイミングでイエス様がやって来たのでしょうか。病院に行って熱を冷ます薬をもらってくる時代に生きる私たちにとっては不思議な話です。

しかし、それはともかく、シモンの義理のお母さんはすぐに起き上がり、イエス様とその仲間の接待を始めました。その噂を聞いて集まった病気に苦しむ人たちは、皆同じ体験をしました。イエス様のそばに来ると楽になる。熱が下がる。痛みが和らぐ。力が入らない手足を持ち上げることができるようになる。イエス様が次の村に行こうとすると、村の人たちは「まだ行かないでくれ」としきりに頼みました。

 この出来事から二千年近い年月がたっています。医療技術が進み、私のような凡人には理解できない、ハイテクな治療法が次々と開発されました。しかし、未だに多くの人たちはイエス様にいやしを求めて祈ります。病気や悩みに苦しむ人たちは、枕元に立ってくれる人、手を取って優しい言葉を語ってくれる人を必要としています。

毎日、この礼拝堂でこの時間が、皆さまにとってイエス様に近づき、心や体の癒しを受け、終わったら立ち上がり、元気にその日の勤めに向かわせる時間となるのが私の切なる願いです。「イエスはその一人一人に手を置いていやされた。」

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