2026年10月7日礼拝説教 「行動を取るのはあなた」

 2026年10月7日礼拝説教

「行動を取るのはあなた」

マルコによる福音書6章30節~43節

30節             さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。

31節             イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

32節             そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。

33節             ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。

34節             イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた 。

35節             そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。

36節             人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」

37節             これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。

38節             イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」

39節             そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。

40節             人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。

41節             イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。

42節             すべての人が食べて満腹した。

43節             そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 

イエス様の弟子たちは修行とも言える、伝道実習から帰って来ましたが、休息を取り、情報交換をして次の戦略を立てる必要がありました。食事をする暇もないほど、人の出入りが激しく、イエス様は「さあ、あなた方だけで、しばらく休むが良い」と言いました。それから、人里離れたところ、つまり、民家のない、山奥のような場所に向かいました。

しかし、彼らの動きを見逃さなかった人たちが大勢いて、数千人単位の群衆が付いて来ました。「ついて来るな。これからは、私たちのプライベートの時間だ。」弟子たちは心の中でそのようにつぶやきながら見ていたのでしょうが、イエス様は「大勢の群衆を見て、飼い主のない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められました。」

東奥義塾の教職員の勤務時間は何時から何時までだと思いますか。正式には、週五日間、八時間勤務で、昼休み中も生徒の指導をするので、4時35分になったら帰宅できます。土・日は学校に来る義務がなく、時間外手当があっても、スズメの涙しか出ません。それにも関わらず、どんな時に学校に来ても、昼夜問わず、曜日も関係なく、生徒の指導に当たったり、授業の準備をしたり、学校に関わる様々な仕事に取り組んでいる教職員の姿が目に入ります。

教職員の方々は「これからは、私のプライベートの時間だからもう来るな。」と生徒に言いません。聖書の言葉を少し言い直して「大勢の生徒を見て、飼い主のない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」と言えば、普段の東奥義塾の光景が目に浮かんでくるような気もします。しかし、一般的に、教職員が自腹を切って、生徒にご飯を食べさせるところまでは行かいはずです。

「早く終わらないかな」と思いながら眺めている内に、弟子たちは日が暮れそうになったことに、イエス様の注意を向けました。「もう、夕食の時間が近づきました。皆を早く帰しましょう。」無理のない提案をしたつもりの弟子たちは、イエス様の返事を聞いて耳を疑いました。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」「エッ!イエス様、頼みますよ。集まっているのは数千人で、今はパン5個と魚2匹しかありません。私たちに何ができると言うのですか。」

 弟子たちは二つの、ごく当たり前の考えを持っていました。まずは、「勝手に付いて来た人たちだから、お腹をすかしても私たちの知ったことではない。」それから、「私たちには、この問題を解決する能力がないので、何もしなくても良い。」イエス様はこの極めて常識的な考えを、両方ともきっぱりと否定しました。「責任逃れはダメ。これもあなた方の責任。まずは、できることやりなさい。」次に起きたことが、あまりにも不思議だったので、イエス様の物語を書いた四人の福音書記者は全員、この出来事を載せています。

話の真相は何だと思いますか。解釈の仕方は色々あると思いますが、皆、同じところに行きつきます。第一に、問題を解決する責任が、他者にではなく、自分にあることを認識しなさい。第二に、お金も体力も能力も足りないとわかっていても、まずはあるものを活用して行動を起こしなさい。第三に、神様の力を信じて祈りなさい。この三つの要素が重なると、何が起きても不思議ではありません。

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