2026年6月24日礼拝説教 「ブタの大群がえさをあさっている」
2026年6月24日礼拝説教
「ブタの大群がえさをあさっている」
マルコによる福音書5章11節~17節
11節
ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。
12節
汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
13節
イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
14節
豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
15節
彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
16節
成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
17節 そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
妻のおじいさんは昔、ブタを飼っていて、その世話をするのを生き甲斐にしていました。しかし、近所の方々から「臭い」という苦情が市役所に届けられ、その息子である妻のおじさんが市役所に勤めていたので、ちょっと気まずいことになりました。結果的におじいさんを説得して、ブタを処分してもらうことになりました。想像できると思いますが、とてもがっかりして、しがらくは元気が出ませんでした。
日本でブタを飼うと、このような苦情を受けることがあっても、養豚業そのものがいけないと言う人はいません。対照的に、旧約聖書に従って、ブタ肉を絶対に食べない、ユダヤ人の目から見ると、養豚業は好ましい商売ではありませんした。ブタ肉を買ってくれるのはユダヤ人ではなく外国人でしたが、進駐軍のローマ兵が多くいたため、ブタを飼うと、稼ぎの良い商売になりました。
ゲラサ地方はイエス様の活動拠点だったガリラヤ湖の反対側、つまり湖の東岸にあり、ユダヤ教の戒律があまり厳しく守られていない地域でした。保守的なユダヤ人社会だった西岸では見られない、大規模な養豚業が営まれていました。イエス様の、悪霊につかれたレギオンとの出会いの結末は、ブタを嫌うユダヤ人から見ると滑稽だったでしょうが、飼い主のゲラサ人にとっては、生活基盤を破壊する大惨事になりました。
精神的にひどく苦しんでいる人から、悪霊が出て行ってブタの大群に入り、狂ってしまったブタが湖になだれ込み、おぼれ死んでしまった。現代人の感覚で読むと、あまりにも奇想天外な話で、どのように理解すれば良いのか迷ってしまいます。しかし、一つだけはっきりしていることがあります。経済的な損失を負ったゲラサ人は、墓場で叫んでいた人に起きた奇跡を喜ぶほど、心の余裕はありませんでした。それどころか、失った豚を悲しみ、出て行ってくれと言ってイエス様を追い出しました。
世の中には、好ましくないのが明らかなのに、なかなか、なくならない物がたくさんあります。高校生の目から見て、悪いことだとわかっているのに、どうして皆で協力してなくせないのだろうと不思議に思うことがあるはずです。なくすのが簡単そうで当たり前なのに、なくならない場合は、ほぼ確実に利権、つまりお金儲けがからんでいると思ってください。
人は自分の利益が脅かされそうになると、理性を失ったかのように、激しく抵抗します。事故があったら家を捨てて逃げなければならなくなるのに、原子力発電所を誘致しようと一生懸命になる町の有力者がいます。ギャンブル依存症に苦しむ人の数が、数百万に達していると指摘されているのに、何が何でもカジノ建設を進めようとする人がいます。タバコの煙に害があるのがはっきりしているのに、変な理屈を並べ、喫煙を許す店を残すように訴える政治家もいます。
例を上げると切りがないですが、どれにも一つの共通点があります。「辺りの山で、豚の大群がえさをあさっています。」「正気になってイエスの足もとに座っている」人に目を向けません。日本の高度経済成長の頃、 いくつもの公害訴訟がありました。利益を優先して、地域住民の健康と幸せを無視した多くの会社は裁かれました。日本では昔の話になりましたが、先進国の仲間入りを目指す多くの国で、今も同じようなことが繰り返されています。
「世界各地の山で、豚の大群がえさをあさっています。」私たちが格安で買っている多くの商品の裏に、似たような状況があります。今日の聖書の箇所は私たちに問いかけています。いざとなったら、「正気になってイエスの足もとに座っている」人の姿を見て、素直に喜べる人間になれるでしょうか。それとも、失った豚に心を奪われ、出て行けとイエス様に訴える人たちの側に付くでしょうか。
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