2026年7月15日礼拝説教 「イエス様の衣に触れた一本の指」

 2026715日礼拝説教

「イエス様の衣に触れた一本の指」

マルコによる福音書521節~34

21節           イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。

22節           会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、

23節           しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」

24節           そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。

25節           さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。

26節           多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。

27節           イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。

28節           「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。

29節           すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。

30節           イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。

31節           そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」

32節           しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。

33節           女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。

34節           イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

ガリラヤ湖の向こう側でゲラサ人に追い出されたイエス様の一行は、地元に戻ると大歓迎を受けました。助けを求めている人たちが大勢いたからです。特に、死を迎えようとしていた十二歳の娘がいる、ヤイロという会堂長は必死でした。

会堂長という身分から分かるように、町の中心的な人物で、とても立派な人だと思われていました。遠慮することなく、イエス様の足元にひれ伏し、娘を癒しに来るように懇願しました。ヤイロとは対照的にもう一人、隠れるように群衆にまぎれ、こっそりと近づいて来る女性がいました。ヤイロの娘が生まれた十二年前の、その同じ年から始まって、婦人病の一種を患っていたため、本来はこの場所にいてはならない人でした。

中東の一部の地方では今も、生理中の女性を隔離する習慣が残っていますが、当時は旧約聖書のレビ記の箇所を根拠に、出血が止まらない場合は汚れていると見なされ、触れた物もすべて汚れると教えられていました。

あれこれと形を変えながら、マルコによる福音書に登場するのは、このようなタブーや偏見に立ち向かい、苦しめられた少数者や弱者に、胸を張って生きる道を提供するイエス様の姿です。大勢の人に囲まれ、ヤイロの家に向かうイエス様の背後に、この女性が近づいて来ました。

これまで、数多くの医者に診てもらいました。しかし、治療費がかさむだけで、全財産を使い果たし、薬も、食生活の改善も、おまじないのような物も何一つ、効き目がありませんでした。最後に、治療法にではなく、イエス様という人物に希望を託すことにしました。ヤイロのように、皆が見ている前で、イエス様に頼み込むのは恥ずかしくてできませんでした。このような病気をもっている事は知られたくないし、イエス様の反応も心配でした。

「背後から忍び寄り、イエス様の体に触れたらきっと治る。」そう確信したものの、自分の手が触った物がすべて汚れると思うと、そうするわけにも行きませんでした。悩みに悩んだ末、イエス様の衣の裾に、そっと指先だけ、軽く触れることにしました。誰にも気付かれないと思い、責められることもないだろうと思いました。

「だれかがわたしに触った。」イエス様の突然の言葉に弟子たちが戸惑いました。「大勢の人が押し寄せていますよ。それは無理もないでしょう。」しかし、イエス様は譲ろうとせず、後ろを見回しながら言いました。「わたしから力が出て行ったのを感じた。」感電したように、ビリビリッとくる、何かがあったのでしょう。

人の心の深い部分で、何か大事なことが起きると、理屈で説明できない、不思議なことが起きることがあります。何回もあるとは限りませんが、誰にも、長い人生の中で、少なくとも一度や二度はあると思います。

わずかな行為がもたらした、思いもよらない結果にこの女性は怯え、震えながら進み出て、すべてを話しました。話を聞いたイエス様は答えて言いました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」

一本の指でイエス様の裾に触れる程度のことしかできないのは、今の私たちかもしれません。しかし、信仰はそのような行為から始まり、救いと癒しもそこから始まります。礼拝堂を出る前に、心の中で手を伸ばし、イエス様の衣の裾に触ってみませんか。触って見た皆様にとって、今日はどんな一日になるかが楽しみです。

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