2026年2月16日礼拝説教 「種を蒔くのは諦めずに」
2026年2月16日礼拝説教
「種を蒔くのは諦めずに」
マルコによる福音書4章1節~9節
1節
イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
2節
イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
3節
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4節
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
5節
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
6節
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7節
ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
8節
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
9節 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
人は文学や芸術作品と運命的な出会いをすることがあります。そこから生きる力を得たり、人生について大事なことを学んだりします。私の場合も十代の頃、音楽を聞いたり、本を読んだり、映画を見たりして、強烈な感動を覚えることがよくありました。それはそれで貴重な体験でしたが、家族や友たちに同じ思いを共有して欲しいと思って紹介しても、期待通りには行きませんでした。相手の冷めた反応を見て「これほど素晴らしい作品に感動できないなんて、この人の心はどうなっているのだろう」と思うことはしばしばありました。
今、思えば、逆のこともありました。熱心にレコードや本を勧めて貸してくれる友たちがいました。レコードは適当に流して「良かった」と言って返せばそれで済みますが、本を一冊読むのにそれなりの時間と労力が求められます。「この本のどこが凄いのだろう」と思いながら時間を奪われて損した気分になったこともありました。
今日はイエス様の「種蒔きの例え」を読んでいただきましたが、十年以上前、中国の江西省で同じような光景を見ました。緯度は台湾と同じくらいの場所だったので、農家の方々は年に二回、お米の収穫をすることができました。夏に田植えする二作目は日本と同じように苗を育ててから、一株ずつ水田に植えてきれいな列を作りましたが、春の一作目は種を手に握って田んぼに蒔きました。
かなりおおざっぱな作業だったので、種が全部、田んぼに落ちるとは限りませんでした。横を通るあぜ道に落ちる種もあり、今日の聖書の箇所に書いてある通りに、鳥がやって来て食べました。私が見たのは空を飛ぶ鳥でなく、鶏でしたが、仮に芽を出すことがあっても、外に落ちた種は上手く育ちませんでした。
いくら良い話でも、いくら正しい行動でも、人間の心が複雑にできています。素直に受け入れてもらえるとは限りません。しばしば、その正反対のことが起こり、激しい抵抗に合うこともあります。イエス様は自分の言葉を種に例え、周囲にいる人たちに言いました。
「反対する人が多いからと言って、伝えている内容そのものが間違っているとは限らない。種そのものが良くても、育つかどうかは落ちた場所次第。福音の言葉が響くかも、人の心次第。聞く耳のある人は聞きなさい。」イエス様のこの最後の言葉を、裏返しにして捉えることもできます。「耳がある人はきっといる。聞いてもらえないからと思っても、正しいことを言うのをやめてはいけない。」
十回中、七回は仕事に失敗するが、数億円の年俸をもらう人がいると言えば、不思議に思うかもしれません。しかし、プロ野球の首位打者の成績を見てください。どんなに優秀な打者でも、塁に出る回数は、アウトになってベンチに戻る回数よりもはるかに少ないです。
最終的に求められるのは結果かもしれません。しかし、途中経過が悪いからと言って諦めるのは間違いです。本当に大事なことであるなら、絶望的に思えても続ける必要があります。「蒔いた種は刈り取る」という諺も聖書の言葉ですが、思いやりも、誠意も、優しさも、土に蒔く種のような物です。
すぐに伝わる相手もいれば、いくら純心な気持ちでも、冷たく跳ね返えす相手もいます。しかし、良い種を蒔き続けるなら、いずれは人の心が温まります。いずれはどこかから、良い結果が出ます。良い種を持っているなら、諦めずに蒔き続けましょう。
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