2021年1月31日 3学年終業礼拝 「幸せばかりが目標ではない」

 2021131日 3学年終業礼拝

「幸せばかりが目標ではない」

テモテへの手紙Ⅰ215

「しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるなら、子供を産むことによって救われます。」

聖書の中に難解で、現代人の感覚に合わないように思える言葉はいくつもありますが、その最たるものは使徒パウロが弟子のテモテに送ったこの言葉かもしれません。二千年前に書かれた古代人の差別的な言葉として無視することもできますが、聖書の言葉となると、そう簡単に片づける訳には行かないと思います。現代社会の価値観に会わない、封建的な教えだと決めつける前に、言葉の中に時代を超えた、奥の深い真実がないかと、よく考える必要があります。「子供を産むことによって救われる。」これはご婦人向けに書かれた言葉ですが、自ら産んだことのない、男である自分の心にも響くものがあります。

今から35 年前、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落する五日前のことでした。23歳の少し若すぎる父親として、ちょっと無理を言って、当時の日本では珍しい、分娩の立ち合いをさせていただきました。朝早くから始まった、辛い陣痛に十三時間も絶えた妻は疲れ切って産む力を失いかけていました。難産の末に姿を現した長男の、大きな目で周囲をジロジロと見まわす、驚いたような顔はとても印象的でした。この場面で、感極まって泣く人もいると聞いていますが、私はその逆で、無事に生まれてきたという安心感と、長男の表情の面白さが重なり、こみ上げてくる笑いを抑えるのがやっとでした。母子を病院に残して帰宅した私は車を運転しながら、長男のあの表情と、初めて我が子を抱いた感触を思い出しながら一人でニヤニヤしていました。

当てになるかどうかはわかりませんが、様々な幸福度調査によると、独身の方に比べると、結婚している方の方が「幸せだ」と答えることが多いです。しかし、子供がいない夫婦より、子供がいる夫婦の方が幸せだという結果は出ません。子供を産むことで自由を奪われたり、睡眠時間が削られて疲労がたまったり、子育てに必要なお金の工面に苦労したりする内に、子供がいない夫婦の方が幸せそうに見えてくるのでしょう。

若くして父親になった私の場合、明らかに有利だったのは体力があることでした。晩婚だった父から聞かされた、子供が生まれてからの大変さをあまり感じることなく、子育てを楽しむ日々を過ごしました。手がかかることがあっても、親としての責任が生きる原動力となり、社会人として危機に直面した時、困難を乗り越える力にもなりました。他人の子供に好かれるような優しさもない自分の帰宅を、大スターの到来並みに喜んでくれた子供の姿は忘れられません。あの時の子供の興奮に満ちた笑顔と、親である自分に向けられた絶対的な信頼が、チャランポランな青年だった自分を奮い立たせ、親と言われても恥ずかしくない人間に育て上げてくれました。自分はこの子供の親であり、親である以上は、子供の純真な心と、微塵の疑いもない信頼を裏切るわけには行かない。言葉で表しがたい負担と責任を強いる存在として生まれながら、生きることへの疑問を完全に払しょくしてくれたのは生まれてきた我が子でした。

現代社会は女性としても、男性として生きることを、とても複雑なものにしています。学歴も、職歴も、社会的地位も手に入れながら出産と子育てをこなさないと、人間としての本分を全うしていないと思わせる情報が、毎日のように襲ってきます。しかし、原点に戻り、一つの生き物として、まずは何よりもただの人であるという自覚に立つなら、人間として生きるのは、さほど難しい事ではありません。愛の結実として生まれ、愛の対象として育ち、愛することを学んで自ら子供を産み、産んだ子供に愛を注いで育て、孫の顔を見て一生を終えます。古典的な価値観と言われるかもしれませんが、本来はそれが人生の目的であり、その責任を担って生きるなら、次第に充実感を覚え、いつの間にか幸せという思いに気がつきます。

皆様はかなり若い頃から、欲求を満たすことと幸福を追求することは、同じ事ではないのに気が付いたと思います。欲求通りに行動できる時間が長く続くと、強く求めてもいない、低レベルの欲求に振り回され、終わって見ると、せっかくの時間を無駄にしたという自己嫌悪に襲われることがよくあります。不思議なことに、欲求通りにできる時間に限度があった方が、低レベルの欲求を振り払い、時間を有効に使おうという強い意志が働き、後になって良い気分になりことが多々とあります。

「人生の目的は幸せになることだ」という概念は世間に広く行き渡っています。勉強するのも、仕事をするのも、結婚するのも、子供を産むのも、買い物するのも、家を建てるのも、旅行に行くのも、何もかも幸せへの道だというメッセージが私たちの意識に叩き込まれ、企業はその思いを消費行動につなげようと必死に努力します。しかし、幸せはつかみどころのない、姿を現したかと思ったらただちに消える、もろいもので、目標としていた成果や物を確実に手に入れても、幸せをゲットして離さないのは至難の業です。

青春は気分の浮き沈みの多い時期です。少しでも嬉しいことがあると、すぐにハイになり、その幸せがいつまでの続くものと考えますが、この気分はとてももろく、友だちの冷たい態度や、ささいな喧嘩が引き金となり、すぐに絶望的な物に様変わりします。大人になると気分そのものはかなり安定してきますが、お金の悩み、仕事の失敗、子供の病気や、夫婦の問題などに悩まされ、何年もかけて積み上げたはずの幸せが、一瞬の内に消える可能性と背中合わせに暮らすことになり、決して安心できません。

とは言っても、幸せは手の届かない所にあるはずがないのは、誰にもわかることです。視点を変え、人生の目的は幸せになることにではなく、責任を負うことにあると考えたらどうでしょうか。人生がいくら要求通りに進んでも、何の責任も負わないと、いなくなっても、誰も困らない存在になってしまいます。これはすべての不幸の原点にあるもので、人にとって究極の不幸せです。

卒業してからすぐに結婚する生徒はとても少ないと思うし、大多数の卒業生は、すぐには仕事に就きません。しかし、一般世間は高校を卒業してからの皆様を大人として見ます。社会を支えるために、人間として何らかの荷物を持ち上げて運ぶことを要求するようになります。楽をして一番軽い荷物を持とうとする思いは、決して幸せにつながりません。いずれは目標を失い、気分が落ち込み、自尊心も輝きもない人間になってしまいます。むしろ、ほかの人の分まで担う覚悟で、一番重い荷物を取り上げて運び出した方が、幸せへの近道となります。

疲れ切っているのに、誰からも感謝の言葉も受けず、利用されているだけだと思うこともあるかもしれませんが、人生の意味は、担った責任の重さで測れるものだと忘れないでください。そう思って生きて行く内に、ある時になって気が付きます。今まで無駄に生きてきた訳ではない。自分がいないと困る人たちがいる。私は本当に幸せだ。そう思える人生になることを願って皆様を送り出したいと思います。ご卒業、本当におめでとうございます。

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