2018年1月31日 3学年終業礼拝 「神様に祝福された人たち」
2018年1月31日 3学年終業礼拝
「神様に祝福された人たち」
マタイによる福音書25章34節~36節、40節
34節 ・・・「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
35節 お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、
36節 裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ。」
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40節 ・・・「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
どうなるかという不安を抱きながら入学した東奥義塾だったかもしれませんが、ついにゴールラインを踏み越える時がやって来ました。栄えある卒業式。皆様が主役として脚光を浴びる晴れ舞台。準備が整い、残された勤めは舞台に駆け上がり、三年間の功績の証、卒業証書をしっかりと手につかむことだけです。しかし、すべての事に表と裏があります。卒業式は一方では皆様の門出祝いであり、他方では、もうこの校舎に来なくても良いと告げる「突き放し」の儀式です。動物の親が乳離れさせるために心を鬼にして子どもを突き放すように、親も教師も覚悟を決め、「独り立ちできるようになったから、これ以上、足手まといなるな。自分の道を自分で切り開け。」と言って外界に押し出します。
すぐに仕事に就く卒業生もいれば、大学という猶予期間に恵まれる卒業生もいます。しかし、遅かれ早かれ、全員が何かの仕事に就くことになります。今振り返ってみると、大学卒業時に誰かに言って欲しかったことがあります。その内のいくつかお伝えしたいと思います。在学中は自分の好みに合った、自分にとって最も都合の良い仕事が何かということについてよく考えました。その仕事に就いている自分を想像し、現実性のない、甘い夢を見ていました。しかし、就職してから間もなく、自分の都合に合う仕事が一つもないことに気が付き始めました。もっと良い職場がないかと思って探せば、労働条件が多少ましになるかもしれませんが、どう頑張っても夢のようには行かないことを悟りました。
今思えば当然のことですが、人が雇われ、賃金が支払われるのは従業員に都合があるからではなく、雇い主に都合があるからです。雇い主はなるべく、自分に都合の良いように従業員に仕事をさせようとします。賃金を払ってまで、好き好んで雇ってくれる人はいません。相手に自分が必要か否かがすべてであり、必要ないならそれまでです。しかし、その反面、自分たちを必要としている人間がいるからこそ、この社会の中で人間として生かしてもらえるのです。これからの人生の勝負は、自分が必要と感じる人との出会いができるかではなく、自分を必要としている人との出会いが巡って来るかによって決まります。
仕事を探すに当たって、私たちはしばしば最も強く、恰好良く、幸せそうな人たちの周囲をうろつき、役に立てないかと機会を求め、仲間に入れてもらおうと躍起になります。しかし、彼らはそもそも何にも困っていない人たちなので、私たちを必要とする可能性は極めて低いです。無理に役に立とうと努めても、追いかける自分が惨めになるだけです。東奥義塾で学んだ皆様は、マタイによる福音書二五章に記された羊とヤギの例えはよく覚えていると思います。
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからです・・・はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
これは王が羊に言う言葉です。ヤギはその真逆のことを言われます。話題の中心になっているのは、人の力を最も頼りにする必要がある方たちです。どのような社会にも、必ずこのような方たちがいます。彼らの役に立つことに恰好の良さも、高い賃金も、人の賞賛もないかもしれません。しかし、社会に出る一人一人を最も必要としているのは彼らです。彼らの役に立ってこそ、自分たちが人間社会にとって不可欠な存在であることを示すことができます。
もっと恰好が良く、給料も労働条件ももっと良い仕事に就きたいと思うかもしれません。間違いなく、そのような仕事に従事している本人たち以外にわからない大変さはあると思います。しかし、そのような仕事に就く機会が巡って来るのも一つの幸せです。「羊とヤギの例え」の王に一番高く評価されたのはこの人たちです。そのような道を選んだ一人一人が一番偉い人たちの内に数えられたと悟り、与えられた仕事に対して誇りと自信を抱いて取り組んでいただきたいです。
任された仕事に対応できなくなって恐怖心に襲われることもあるでしょう。仕事を完成できないまま徹夜し、朝まで終わらないとどうしようと思って焦ることさえあるかもしれません。「どう考えても、この仕事に耐える力がお前にはない。」と心に響く絶望の声に悩まされるかもしれません。その都度、忘れないでください。最後は何とかなります。仕事が苦しいからと言ってやめるような人にならないでください。ここで何とかしないと自分は終わりだという恐怖心が真剣にさせてくれます。結論から言うと死ぬ気になれば何とかなります。時間がかかっても最終的に、仕事を覚えて楽になります。楽にならなくても、その気迫が周囲に伝わり、一目置いてもらえるようになり、自分の居場所が不動のものとなります。
今後、うまく社会に適応できず、自分の生きる場所を探すのに苦労する卒業生もいると思います。素敵な笑顔と、人を思いやる優しさがあっても、評価すべき人から評価されにくい人もいるでしょう。学びたいという思いがあっても、それが伝わりにくいと感じる場合もあるでしょう。意地悪な人もいるでしょうが、ひたすら学びたいという思いさえ伝われば、指導者は一般的に、預けられた若者を一人前に育てようと、心のこもった対応をしてくれます。その気持ちが相手にはっきり伝わるように一生懸命工夫してください。貪欲なほど学ぼうとする姿勢を丸出しにしてください。周囲の目は優しくなり、気持ちよくサポートしてくれるようになります。いち早く、お客様が卒業生の皆様に担当して欲しいと思わせる技能と知識を身に着けて下さい。
世の中には、自分たちが何の役にも立たない、社会に捨てられたと思っている人たちが数えきれないほどいて、皆様の声かけと笑顔を必要としています。それが本当は嬉しくても、表現できずに無表情でいる人も多いと思います。反発する人もいると思います。ただ、忘れないでください。皆様がいないとその方たちは本当に困ります。その意識を持ち続けると、皆様も必ず生き甲斐を感じ、頑張って行ける力が湧き上がってくるのを体験します。楽しい人生、楽な人生、幸せな人生を目指すなら、いつの間にか自分の不幸ばかりに目が行き、ますます惨めになって行く自分に気が付くようになります。しかし、幸せな人生よりは有意義な人生、一番重い荷物を担ぎ上げる力を養い、一番重い責任を担う生き方をしようと決心すると、幸せは黙っていてもついて来ます。「神様に祝福された人たち」と呼ばれるように、人の重荷を負い、自分がいないと誰かが困る人になってください。卒業生の皆様にはその力が十分に備わっていると確信しています。
熱い思いで応援しています。期待しています。頑張ってください。卒業おめでとうございます。
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