2025年9月8日 礼拝説教 「心の解放」
2025年9月8日 礼拝説教
「心の解放」
21節
一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
22節
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
23節
そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
24節
「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
25節
イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、
26節 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
27節
人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
28節 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。
ガリラヤ湖のほとりに、カファルナウムという漁村がありました。網を捨ててイエス様について行ったシモンとアンデレの村でした。そこには週に一回、旧約聖書の教えを聞きに村人が集まる会堂がありました。弟子になったばかりのシモンとアンデレの紹介を受け、キャリアが始まったばかりの預言者、ナザレのイエスが講壇に立ちました。集まった人たちはイエス様の話を聞いてびっくりしました。普段やって来る説教者たちのように、この大先生や、あの大先生の考えを引用し、回りくどい説明に時間をかけることはありせんでした。短刀直入に聖書の言葉を語り、比喩としてではなく、文字通り、今起きようとしている事として伝えました。
話を聞いていた人たちの中に、大きなトラウマを抱えている人がいました。その人には、イエス様が子供の頃、この地方で起きたローマ軍への反乱の記憶がありました。指導者の名前はユダで、自分こそ神様が遣わした救い主、メシアだと言った人でした。一時期は成功を収めましたが、いつものパターンで、最後はローマ軍につぶされ、ユダを始め、二千人の反乱軍の兵士が十字架につけられ、処刑されました。巻き込まれた地域住民も悲惨な目に合いました。
イエス様は自分がメシアだとは言いませんでした。しかし、この人にしてみるとイエス様が話す内容で正体がバレテいました。「この手の話は以前、聞いたことがある。この人もきっとあのユダと同じように神の聖者だと言い張り、ローマ軍への反乱を起こそうとするに違いない。そうなると前と同じように自分たちの生活がめちゃくちゃにされてしまう。」たまらなくなったこの人は錯乱状態に陥って叫びました。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
イエス様は、この人が自分の本心とは違う、自分でコントロールできない、目に見えない力に支配されていることに気づきました。イエス様のメッセージの中心にある宣言は抑圧からの自由でした。しかし、焦点を当てたのは、外国人による政治的な抑圧や、支配階級による経済的な抑圧ではなく、目には見えない、人の心に潜む抑圧からの解放でした。
新約聖書が書かれた頃、多くの病気が悪霊の仕業だと考えられていました。特に錯乱状態に陥ったり、ひきつけを起こしたり、その他、常軌を逸した行動があると、周囲の人たちは悪霊追い出しの専門家の助けを求めました。イエス様は自ら悪霊追い出しをしただけではなく、弟子たちにも悪霊追い出しの資格を与え、各地に派遣しました。
明治時代の初期にキリスト教に改心した日本人の多くは、近代科学を教えてくれる西洋の宗教なので、神がかったところの少ない、知的で哲学的な教えだろうと思って入信しました。ところが、学べば学ぶほど、仏教で言えば密教的、現代風に言えばオカルトっぽい要素が多いのに気が付き、キリスト教信仰から離れる人たちもいました。確かに、キリスト教には仏教以上に霊能現象的な要素が含まれています。一部のキリスト教学者は、初期のキリスト教が急速に広がった理由の一つとして、信仰治療と悪魔払いに強かったことをあげています。
近代医学は、他の病と同じように、心の病を科学的に説明し、科学的な治療を提供しようとします。しかし、人の心を悩ます、様々なつらい思いからの解放を、医学の力だけで求めることに限界があると感じる人も多くいます。このような方に、イエス様がおかけになった言葉は何でしょうか。「わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」これはイエス様の最も有名な言葉の一つであり、心の病があっても、心身共に健康であっても、今日の私たちにも語り掛ける言葉です。
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