2025年9月1日 礼拝説教 「こうしていられない時が来た」

 202591日 礼拝説教

「こうしていられない時が来た」

マルコによる福音書112節~20

12節             それから、はイエスを荒れ野に送り出した。

13節             イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

14節             ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、

15節             「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

16節             イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。

17節             イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。

18節             二人はすぐに網を捨てて従った。

19節             また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、

20節             すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

夏休みの前に読んだ箇所を思いだしてください。洗礼を受けたイエス様の上に神様の霊が降りました。今日の箇所は、その日を境に大きく変身したイエス様の様子を描いています。昼は働きに出かけ、夜は家に帰って来る、一般人の生活とは全く違います。不思議な力に押され、これまでの生活環境から遠く離れた所に行きます。

イエス様が向かったのは、泊まる場所もなければ、食べる物もない、ユダヤ地方の荒野でした。いくら何でも二、三日しか過ごせない環境なのに、一ヶ月以上も戻って来ませんでした。そこを住みかとする野獣に脅されながら、気が狂うような葛藤に悩まされました。その時のイエス様は天使としか言い様のない存在に支えられ、試練の時を乗り越えました。

人が集まる場所に戻ったイエス様の目に、世の中は全く違う物に映っていました。自分の上に神様の霊が降りて来た時から確信していました。「今までの時代は終わった。これまでとは違う時代が始まる。とても良いことではあるが、誰もそのことには気が付いていない。今までと変わらない日々を過ごしている。」

逮捕され、世間の目から姿を消したバプテスマのヨハネに代わり、イエス様は人前に出て活動を開始しました。人里離れた場所に留まり、話を聞きに来る人の相手をするヨハネと違って、イエス様は町や村に出て行って訴えかけました。「世の中は変わろうとしている。すばらしいことが始まろうとしている。しかし、今までの生き方を変えなければならない。新しい時代に相応しい生活を始めなさい。」

生まれ育ったナザレの近くに魚の豊富なガリラヤ湖がありました。その畔を歩いていたイエス様は、見覚えのある人たちを目にしました。バプテスマのヨハネの話を聞きに行った時に同じ場所にいた兄弟、シモンとアンデレ。イエス様と親戚関係にあるヨハネとヤコブ。あの時は同じ夢を抱いて心が燃えたはずなのに、どうすれば良いのか分からなかった彼らは以前と同じ生活に戻り、魚を捕っていました。

 「魚を捕るのも良いが、今はそのような事をしている場合か。食卓に上がる魚ではなく、新しい時代を築く仲間を集めるべき時ではないか。この仕事を止めて私に付いて来なさい。」シモンとアンデレはすぐに反応しました。大事な商売道具を浜辺に捨て、イエス様に付いて行きました。ヨハネとヤコブには自前の船も雇い人もいる、稼ぎの良いお父さんがいました。跡取りだった彼らは少し迷いました。しかし、イエス様について行く仲間の姿を見て決心しました。彼らも立ち上がり、イエス様に従いました。

 夏休み中に様々な体験をして来たか皆様は急激な成長期でもある、青春の真っただ中にいます。ついこの前とは違う、視野が広まった自分に目覚め、これまで気がつかなかった世の中が見えてきたことと思います。これまで通用して来たことが、通用しなくなり、時代が動いているのは確かなことです。その意味ではイエス様の時代と同じです。ただ、何から手を付ければ良いのか迷っている生徒も多いと思います。

 いつまでも湖で魚を捕っている訳には行きません。こうしていられないという事実に気が付いていることでしょう。しかし、呼びかける声が多く、何を信じ、誰について行くべきか、分からない生徒も多いと思います。この問いに対して、一人一人がその答えを見つけ、確実な手ごたえを感じる二学期を過ごせることを心から祈ります

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