2017年6月19日 礼拝説教 「民族主義者たちの憤慨」

2017619日礼拝説教
「民族主義者たちの憤慨」

ルカによる福音書422節~30

22    皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
23節 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」
24節 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
25節 確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、
26節 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
27節 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
28節 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
29節 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
30節 しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

ヨーロッパで起きたユダヤ人に対する迫害はよく知られています。しかし、イエス様が生きていた頃、ユダヤ人は他の民族を汚らわしい存在だと思って蔑み、なるべく付き合わないようにしていました。
 
他の箇所を読むとわかりますが、イエス様ご自身、ユダヤ人以外の人との交流には消極的でした。しかし、幼馴染が多いナザレの村で、旧約聖書の物語を例にとって、集まった人たちの排他的な民族主義を皮肉って挑発しました。結果的にイエス様は集団リンチにあって、命を落としそうになりました。

貧しくて、力のない、見下された民族なら、民族主義はそれなりにプラスに作用します。劣等感が強い人たちが民族に誇りを持って自信がつき、できないと諦めていたことができるようになります。統一行動が取れない人たちが団結できるようになります。臆病だった人たちが勇気を持てるようになります。

しかし、歴史は何度となく、民族主義がマイナスに作用する例を私たちに提供してくれました。高まるに従って、民族に対する誇りは傲慢に変わり、団結力は排他主義に変わり、勇気ある行動は向こう見ずな冒険主義に変わります。近年の例を見ると、日本でもヘイトスピーチが問題になり、民族意識のどこが良いのかと言いたくなる事があります。

アメリカは愛国心を強調して多民族国家をまとめようとするし、近年の中華人民共和国は共産主義ではなく、中華民族主義を前面に押し出すようになりました。四年前まで、三年間、中国に滞在しましたが、度々「危ないな」と思うような民族主義を目の当たりにしました。それを見て私は何度か、生徒にある話をしました。

何年も前のことですが、長男の卒業式の式辞で、校長は司馬遼太郎の言葉を引用して次のようなことを言いました。「19世紀に地球の裏側に住む人たちに『日本はどこだ』と尋ねたら、正しく答えられた人は何人いただろうか。20世紀になると逆に、日本という国がわからない人はほとんどいなかっただろう。問題は20世紀の日本が、まずは軍事大国として、次は経済大国として、他の国に幸せをもたらしたかどうかである。21世紀が終わる頃、世界の人たちに、『ユーラシア大陸の東の果てに、日本という国があったのは本当に良かった』と言わせるように努力して欲しい。」

その学校の校長は、日本という国の将来を担う卒業生に向かって話していましたが、私は同じ話を中国に当てはめ、中国人の学生に問いかけました。「皆さんは強い愛国心を持っているのはよくわかりますが、中国が周辺国を軍事的に圧倒することを望みますか。又は世界一の経済力を持って欲しいと思いますか。それとも、世界の国から尊敬される国になって欲しいですか。」皆、ちょっと意外な顔をして、そんな問いかけを受けた事がないと言いました。しかし、考えてみると最後の選択肢が一番だという事で一致しました。


真の愛国者は国のために犠牲を払う覚悟ができています。しかし、国の威光を借りて他国の人たち、または他民族を貶めることはしません。イエス様の言葉を真剣に受け止めた人たちと、腹を立ててリンチしようとした人たちがいました。私たちはどちらの集団に所属する人たちでしょうか。

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