2017年5月15日 礼拝説教 「あいつらとは仲間だ」

2017年5月15日礼拝説教
「あいつらとは仲間だ」

ルカによる福音書319節~23a

19節 ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、
20節 ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。
21節 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられる
と、天が開け、 
22節 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 
23節 イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。

 教会で洗礼、別名、バプテスマを受ける人と言えば、どんなイメージが浮かんできますか。ヨハネから洗礼を受けた人たちはどうでしょう。特別に真面目で清らかな人たちだったでしょうか。後にイエス様が口にした言葉がヒントになります。「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。」

徴税人。大嫌いなローマ人の手下としてユダヤ人からお金をむしり取って私腹を肥やす売国奴。娼婦。イスラエルの地にやって来るローマの兵隊に体を売って生計を立てる女性たち。ヨハネから洗礼を受ける人というと、当時はこのような人たちを思い浮かべました。プライドがあるユダヤ人なら、同類視されるのを嫌がって近づきませんでした。

 しかし、そんなある日、ナザレ出身のイエスがやって来て洗礼を受けたいとヨハネに申し出ました。マタイによる福音書の記事を読むと、顔見知りだったヨハネが戸惑った様子がわかります。このお方にはそんな必要がない。後に弟子になったペトロに「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった」と言わせたイエスに対してヨハネは「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに」と言って、思い止まらせようとしました。

 イメージに傷か付くと心配する周囲の声を押し切ってヨハネから洗礼を受けたイエス。この行動を説明しようと、歴代のキリスト教学者は四苦八苦してきました。しかし、ここで敢えて私の考えを言うと、イエスの洗礼の意味は「この人たちと運命を一つにしよう。この人たちの恥を共有して生きよう。この人たちのために命を捧げよう。いずれはこの人たちのために死のう。」という決意の表れだったと思います。言い換えると、イエスはこのようにして、ヨハネから洗礼を受ける人たちと連帯する決意を表明しました。

 去年の三月、アメリカのコロラド州にあるメリディアン小学校の生徒たちは、ガンとの戦いを終えて復学した9歳の少女、マーリーさんの歓迎会をしました。ところが、治療の副作用で髪の毛が全部なくなっていたマーリーさんが寂しい思いをして欲しくないと思った友だちの女の子、キャメロンさんは髪の毛を全部剃り落とす決心をしました。

結果として、男性の校長と副校長、女性教員三名を含む80人が同じ思いになって、頭の毛を全部剃り落としました。このようにしてマーリーさんに「私たちの気持ちはあなたと一緒だよ」というメッセージを送りました。感想を求められたマーリーさんは次のように言いました。「ただ驚くしかありません。だって、皆が私のために頭を剃ってくれるんだもん。ただ、ありがとうと言いたいです。」

 良くも悪くも、人との連帯に大きな力があります。世間体や自分の評判ばかり心配している内は大した力を発揮することができません。洗礼を受けたイエス様の決心が固まっていました。何が正しいのか、わかっていてもそれができない、弱い人間と共に立ち、彼らと手を取って共に生きようという覚悟ができていました。

イエス様の洗礼の理由はともあれ、二つの結果が生じました。一つには、その時からのイエス様は不思議な力を発揮するようになりました。聖書はこれを「聖霊がイエスの上に降って来た」という言葉で表現しています。もう一つには、神様がイエス様のこの行動を大変喜ばれました。自然界でめったに言葉を発しない目に見えない神様は感動のあまり、「これこそ私が気に入った、愛する息子だ」と言って沈黙を破りました。

イエス様の宣教が始まろうとしていました。新しい時代の幕開けでした。

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