2017年7月24日 終業礼拝 「沖に漕ぎ出して網を降ろそう」
2017年7月24日終業礼拝
「沖に漕ぎ出して網を降ろそう」
ルカによる福音書5章1節~11節
5節 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
11節 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
十和田湖の2.7倍くらいの広さの、イスラエルの北にある魚が豊富な湖。名前はいくつもあります。今日の聖書の箇所ではギリシャ語の「ゲネサレト湖」。現代のイスラエルでは「ヤム・キネレット」。隣にあるガリラヤ地方にちなんで「ガリラヤ湖」と呼ぶ人もいます。2010年にイスラエル政府はこの湖の漁業を禁止しました。乱獲による魚の激減に対処するためでしたが、その後は稚魚の放流を続け、今も漁業の回復を目指しています。
「昨夜は全くダメ!」暗闇のなか、風に吹かれ、波に揺られ、漁師の二人兄弟シモンとアンデレは何度も網を降ろし、何度も引き上げ、網の中を確認しました。一匹くらいはかかっても良いはずなのに、不思議なことに、その夜は一匹も釣れませんでした。やりきれない思いにさいなまれ、二人は網を洗い、早く作業を終え、家に帰って骨を休めようと思いました。
船が停泊していた入江は小高い丘に囲まれ、下から見上げると円形劇場のようにも見えました。そこにやってきたのがナザレのイエスでした。ついて来たのはイエス様の追っかけとも言える大勢の人たち。いつの間にか入江を囲む丘の斜面が人に埋め尽くされ、湖の岸に立つイエス様に皆の注目が集まりました。
声が最もよく伝わる位置は入江の真ん中にある、水が少し深くなる場所でした。シモンの船を借りたイエス様は湖に浮かべ、集まった群衆を教え諭しました。シモンは作業を続けながら聞いていました。語り終えたイエス様はシモンに船を返し、立ち去って行くかと思ったら、振り向いて意外な要求をしてきました。「沖に漕ぎ出して網を降ろしてくれ。」
「イエス様、頼むよ。もう皆疲れているんだ。網もせっかく洗ってたたみ終わったところだよ。素人だからわからないだろうけど、魚ってそんなに簡単に釣れるものじゃないんだ。夜も釣れなかったので、昼間は無理ということだ。」しかし、このように言いかけたシモンの心に別な思いもありました。「ナザレのイエスと一緒にいると不思議なことが起きる。期待が薄くても、この人が言うなら、騙されたつもりでやってみても良いかもしれない。疲れているし、七面倒くさいし、終わったら網をたたむ作業はやりなおしになるけど、指示に従ってみよう。」
予想外な結果にシモンはあっけにとられ、まもなく気持ちは焦りに変わりました。釣れた魚の重みで船が沈みかけ、あわてて仲間の助けを求める始末となりました。その時、たまたま、大きな魚の群れと出くわしたのでしょうか。当時のゲネサレト湖の魚の生息数を調べて確率を計算したら、どんな漁師でも、一生に一度はこのような経験をする可能性があったのかもしれません。何の変哲もない小さな漁船から、いつもと変わらない湖に、いつもと変わらない網を降ろしたら、予想もしない数の魚が入った。冷静になって考えてみたら、超自然的なことでも、なんでもないと思ったかもしれません。
しかし、このタイミングで、このような体験をしたシモンに、このような理屈が通じるはずはありませんでした。常識を通り越した世界で、シモンはいつもと違う、異次元のものを感じていました。それまでの価値観のすべてを揺るがす衝撃を受けていました。イエス様の声が耳に届きました。「『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』・・・彼らはすべてを捨ててイエスに従った。」この時、イエス様の言葉に促され、シモンの人生に後戻りできない、激変が起きたのです。
自分の思い出を基準にして話すと、夏休みの初日には特別な味わいがあります。制服を着て登下校する煩わしさと、興味がわかない授業を受けるうっとうしさから、一か月も解放されます。そう思うと、心が軽くなり、生き生きとした気分になります。この心理状態は一週間くらい続きます。しかし、時間が進むに従って不安が増しましてきます。休みの終わりは一刻一刻と近づき、輝かしい思い出の連続だったはずの夏休みは無意味な時間と化して逃げて行きます。登校日まであと二、三日になると不安はあせりに変わり、パッとしない夏休みを過ごしてしまったという重い事実に突き当たります。
私のこのような思い出を、皆様に当てはめるのは甚だ失礼なことかと思います。しかし、かつての私のように、無駄な夏休みを過ごす傾向の強い生徒に、一つの提案をさせてください。まずは、普段できなかったことか、今までやろうとしなかったことを、試しに何か一つ選んでください。それから、夏休みが終わるまで、その活動に20時間ささげる決意をしてください。
一睡もせず、一気に20時間でも良いし、5日間、毎日4時間でも良いし、20日間、毎日1時間でもかまいません。しかし、できれば、その道に長けた人のアドバイスを受けながら、集中して、効率よく、その時間を過ごすようにしてください。
活動範囲をあまり広げないでください。「数学を勉強しよう」とか、「サッカーを練習しよう」とか、「聖書を読もう」といった、スケールの大きい、幅の広い活動を選ぶと、進歩の度合いがわからないままに夏休みが終わる危険性があります。
一つの良い方法は、まったく新しいことに挑戦することです。勉強したことのない外国語の短い入門書を最後まで学習してみるのも良いでしょう。発音も、つづりも、文法も難しい英語よりも、はるかに入っていき安い外国語はいくらでもあります。触ったことのない楽器に挑戦するのも良いでしょう。20時間も真剣にお稽古すると、一つや二つの曲をそれなりに弾けるようになります。体験したことのないスポーツ、ボランティア活動や読書についても同じことが言えます。
普段からやっている活動でも良いですが、その中の苦手だった、ごく一部分だけに集中して取り組むのが良いでしょう。苦手なことを自然に避けてしまう傾向がありますが、集中して20時間取り組むと、苦手分野を得意分野に変えることができます。入らなかったサーブが確実に入るようになるかもしれません。よくわからなかった三角関数の問題が一目で理解できるようになるかもしれません。目玉焼きしか作れなかったのに、家族が絶賛してくれる中華料理を二、三品作れるようになるかもしれません。
夏休みに入ろうとする私たち一人一人にイエス様の声が語り掛けています。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」それぞれ、この言葉を違った意味で、捉えるのは当然です。「沖に漕ぎ出す」方法はここにいる生徒の数ほどあるはずです。しかし、踏み出すその第一歩に必要な決断力は皆一緒です。漕ぎ出さなければ、魚を一匹もとれないままに夏が終わるのも一緒です。8月28日に始業礼拝があります。網が破れそうになり、船が沈みそうになるほどの魚をかかえて、目を輝かす一人一人との再会を楽しみにしています。
一人一人にとって最高の夏になるように祈りましょう。
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