2017年6月26日 礼拝説教 「悪霊の仕業に注意」

2017626日礼拝説教
「悪霊の仕業に注意」

ルカによる福音書431節~37

31節 イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。 
32節 人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。
33節 ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。 
35節 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。 
36節 人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」 
37節 こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。 

ガリラヤ地方の丘陵地帯にある自分の故郷、ナザレの村で大変な目にあったイエス様は、ガリラヤの湖のほとりにあるカファルナウムという漁村に下って行きました。会堂に入ってナザレにいた時と同じような話をしました。ここにいる人たちもイエス様の話を聞いて驚きました。普段やって来る説教者たちのように、この大先生や、あの大先生の考えを引用しながら回りくどい説明に時間をかけることはしませんでした。短刀直入に聖書の言葉を語り、比喩としてではなく、文字通り、今起きようとしている事として伝えました。
  
話を聞いていた人たちの中に、大きなトラウマを抱えている人がいました。その人には、イエス様が子供の頃、この地方で起きたローマ軍への反乱の記憶がありました。指導者の名前はユダで、自分こそメシアだと言い張った人でした。一時期は成功を収めましたが、いつものパターンで最後はローマ軍につぶされ、ユダを始め、二千人の反乱軍の兵士が十字架につけられ、処刑されました。巻き込まれた地域住民も悲惨な目に合いました。

イエス様は自分がメシアだとは言いませんでした。しかし、この人にしてみるとイエス様が話す内容で正体がバレテいました。「この手の話は以前、聞いたことがある。この人もきっとあのユダと同じように神の聖者だと言い張って、ローマ軍への反乱を起こそうとするに違いない。そうなると前と同じように自分たちの生活がめちゃくちゃにされてしまう。たまらなくなったこの人は錯乱状態に陥って叫びました。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」

イエス様は、この人が自分の本心とは違う、自分でコントロールできない、目に見えない、心の中から湧いて来る抑圧的な力に支配されていることに気づきました。ナザレで抑圧からの自由を宣言したイエス様はここで、外国人による政治的な抑圧、もしくは支配階級による経済的な抑圧に先立って、人の心に潜む、目に見えないものによる抑圧からの解放を手がけました。

新約聖書が書かれた頃、多くの病気が悪霊の仕業だと考えられていました。特に錯乱状態に陥ったり、ひきつけを起こしたり、その他、常軌を逸した行動があると、周囲の人たちは悪霊追い出しの専門家の助けを求めました。イエス様は自ら悪霊追い出しをしただけではなく、弟子たちにも悪霊追い出しの資格を与え、各地に派遣しました。

明治時代の初期にキリスト教に改心した日本人の多くは、近代科学を教えてくれる西洋の宗教なので、神がかったところの少ない、知的で哲学的な教えだろうと思って入信しました。ところが、学べば学ぶほど、仏教で言えば密教的、現代風に言えばオカルトっぽい要素が多いのに気が付き、キリスト教信仰から離れる人たちもいました。確かに、キリスト教には仏教以上に霊能現象的な要素が含まれています。一部のキリスト教学者は、初期のキリスト教が急速に広がった理由の一つとして、信仰治療と悪魔払いに強かったことをあげています。


 近代医学は、他の病と同じように心の病を科学的に説明し、科学的な治療を提供しようとします。しかし、人の心を悩ます、様々なつらい思いからの解放を、医学の力に求めるだけでは限界があると感じる人が多いのは言うまでもありません。「わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」これはイエス様の最も有名な言葉の一つです。今日の私たちにも語り掛ける言葉です。

Comments

Popular posts from this blog

2025年6月9日 礼拝説教 「天に報いがある人」

2024年7月22日 終業礼拝 「心を見る神」

2024年3月7日 終業礼拝 「見捨てられることはない」