2017年6月12日 礼拝説教 「主の恵みの年」
2017年6月12日礼拝説教
「主の恵みの年」
ルカによる福音書4章14節~21節
18節 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
21節 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
近代社会は借金を返せなくなった人たちにはとても優しくなりました。ヨーロッパでは19世紀の初め頃から破産した人が財産を失っても、それ以上、個人的な責任を問われることがなくなり、日本では1922年に破産法が成立しました。それまでは、債務者監獄に入れられたり、死ぬまで借金取りに追い回されたりする運命を負わされ、「破産」という逃げ道はありませんでした。
古代ローマの繁栄の一因は、奴隷の労働力を頼りにできたことでした。帝国の中心地、イタリヤの人口の三割から四割が奴隷だったとも言われています。奴隷たちが一生懸命に働くので、裕福なローマ市民は娯楽にふけり、文化的な活動に従事することができました。
どのような人たちが奴隷になったのでしょうか。まずは戦争捕虜です。ローマ帝国が広がる度に起きた戦争の捕虜たちは奴隷として売られました。そのほかに奴隷になったのは、借金を返せなくなった人たちです。
倒産や自己破産の後にゼロからやり直せるという考えがない時代に、借金で首が回らなくなった人たちは一家まるごと、奴隷として売られました。そもそも借金した方が悪いという目で見られ、同情する声が聞かれることはありませんでした。
今日の聖書の箇所では、悪魔の誘惑に打ち勝ったイエス様が、強い目的意識を抱いて自分の故郷、ナザレの村に乗り込みます。村の会堂に入り、集まっている人たちの前で旧約聖書のイザヤ書の言葉を引用し、奴隷の解放と借金の帳消しを宣言します。
少し解説が必要かと思います。イエス様が読んだ箇所は、新しい時代の初めにメシヤが実現させる、理想的な社会についてのものでした。メシヤが神様から特別な力をいただき、「主の恵みの年」、別名「ヨベルの年」が来たと宣言する姿を紹介しています。
この「ヨベルの年」は旧約聖書に出てくる、奴隷が解放され、買い取られた土地が返還され、借金が帳消しになる年でした。決まりに従えば、五十年に一回まわってくるはずでしたが、多くのユダヤ人はただの理想だと考え、実際にこのようなことがあったという記録はどこにもありません。それとは対照的に、イエス様は「その時は今だ」と宣言し、革命の狼煙を上げました。
聖書の神様はどのような神様でしょうか。まずは記憶に刻んでおきましょう。聖書の神様は奴隷を解放する神様です。民族的なプライドの塊だったユダヤ人たちが旧約聖書を読むと、先祖たちが勇敢に戦って自由を勝ち取ったという物語に出会うことはありませんでした。まったくその逆で、怯えながら、惨めな生活に苦しんでいた奴隷だった先祖たちが、神様に解放されたという物語に出会いました。
ただ、今日の聖書の箇所を読むと、解放されるのは奴隷だけではありません。イエス様の福音の目的は、人間を本来の姿から引き離す、すべての抑圧から解放することです。高校生なら奴隷生活や借金とは無縁だと考えたいです。しかし、青春時代は、逃げられない抑圧的な人間関係や、自己破壊的な気持ちや、やめたいのにやめられない悪習慣などに苦しめられる時期です。しかも、本当の解放は心の解放から始まります。
ヨハネによる福音書を見るとイエス様は次のように言っています。「わたしが来たのは、羊(つまり人)が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」ナザレの村でイエス様が語った言葉は今ここでも有効です。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」
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