2025年2月3日 礼拝説教 「身を横たえて眠ります」
2025年2月3日 礼拝説教
「身を横たえて眠ります」
1節
【賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子
アブサロムを逃れたとき。】
2節
主よ、わたしを苦しめる者はどこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい、
3節
多くの者がわたしに言います、「彼に神の救いなどあるものか。」
4節
主よ、それでもあなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。
5節
主に向かって声をあげれば聖なる山から答えてくださいます。
6節
身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。
7節
いかに多くの民に包囲されても、決して恐れません。
8節
主よ、立ち上がってください。わたしの神よ、お救いください。すべての敵の顎を打ち、神に逆らう者の歯を砕いてください。
9節
救いは主のもとにあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。
罪を犯した時にダビデはざんげの詩を書きましたが、息子、アブサロムの謀反に遭った時も、今読んだ詩編3編を書きました。可愛がっていた息子の裏切りで心を引き裂かれていましたが、エルサレムを避難するダビデの行動は至って冷静でした。石を投げて徴発する人の首をはねようとする家臣の行動を抑え、神殿から契約の箱を持ち出してついて来ようとする祭司たちを都に返しました。
アブサロムの謀反について詳しく知りたい生徒は、少し長いですが、サムエル記下の13章から19章まで読んでみてください。都落ちするダビデは、次のように言いました。「私が主の御心に適うのであれば、主は私を連れ戻す。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることを、わたしに対してなさるように。」
反乱軍から逃れたダビデの一行がたどり着いたのはヨルダン川の反対側にある街、マハナイムでした。ここで一夜を明かしてから筆を取り上げたダビデは二つのことに着目しました。まずは、敵の数が思う以上に増えたことに驚きました。「わたしを苦しめる者はどこまで増えるのでしょうか。」次は、一睡もできない夜を明かすのが当たり前なのに、自分がよく眠れたことに気付きました。「身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。」敵の夜襲があるかもしれないのに熟睡できた上に、朝の目覚めも爽やかでした。
「ダビデはもう終わりだ。」と思われ、それまで王様として敬っていた人たちに手のひらを返され、「彼に神の救いなどあるものか。」とののしられました。敵が迫って来るのは時間の問題で、プライドも地に落ちるほどズタズタにされていました。そのような中で、ダビデの心を支える物がありました。「主よ、それでもあなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。」「いかに多くの民に包囲されても、決して恐れません。」
ダビデのセルフ・イメージを支えていたのは王様の地位でも、家臣の数でも、軍隊の強さでもありませんでした。ダビデにとって、羊飼いとして一生を終えるのも、王様の地位に昇るのも、大した差はありませんでした。盾となって守り、名誉も地位もくださるお方。そのお方に認められて愛されるなら、誰から何を言われ、何をされても大丈夫でした。その確信があったからこそ、眠れない夜が続くはずのダビデは、ぐっすりと眠ることができました。
思い当たる理由もないのに、非難の的にされたことはありませんか。仲良くしていた仲間から急に冷たくされ、会話の輪から外されことはありませんか。精一杯のことをやっていたつもりなのに、なまけていると叱られた事はありませんか。人の評価は心に刺さり、自信を失わせます。極端な場合は、ふさぎ込ませ、死にたいという思いまで引き起こします。そのような私たちにダビデは助かる道を示しています。
肝心なのは、自分のすべてを知り尽くしている神様の前に立つ自分としてどうなのかということです。もちろん、心にある罪を示され、告白するように仕向けられることもあるでしょう。しかし、それを済ませたら、気にする必要のある唯一の方の評価を信じ、元気を取り戻せば良いのです。「あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。」「救いは主のもとにあります。」
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