2025年1月27日 礼拝説教 「私たちの罪をお赦しください」
2025年1月27日 礼拝説教
「私たちの罪をお赦しください」
19章1節、6節~9節、10節、15節
1節
ダビデは彼に従う兵を調べ、千人隊の長と百人隊の長を任命した。
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5節
王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じた。「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ。」兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた。
6節
兵士たちはイスラエル軍と戦うために野に出て行った。戦いはエフライムの森で起こり、
7節
イスラエル軍はそこでダビデの家臣に敗れた。大敗北で、その日、二万人を失った。
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9節
アブサロムがダビデの家臣に出会ったとき、彼はらばに乗っていたが、らばが樫の大木のからまりあった枝の下を通ったので、頭がその木にひっかかり、彼は天と地の間に宙づりになった。乗っていたらばはそのまま走り過ぎてしまった。
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15節
ヨアブの武器を持つ従卒十人が取り囲んでアブサロムを打ち、とどめを刺した。
19章
1節
ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」
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6節
ヨアブは屋内の王のもとに行き、言った。・・・・・・・・・
7節
あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8節
とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください。・・・
9節
王は立ち上がり、城門の席に着いた。兵士は皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まった。・・・・・・・・・
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15節
ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした。ユダの人々は王に使者を遣わし、「家臣全員と共に帰還してください」と言った。
敵に甘い。ダビデを戦国武将として見るなら、この評価は避けられないと思います。ダビデにはツェルヤというお姉さんがいました。サウル王を逃れて洞窟暮らしをしていた頃から、そのお姉さんの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサヘルが、叔父に当たるダビデを慕い、誰よりも頼りになる家臣になりました。血気盛んな上に勇敢。その意味ではダビデによく似ていましたが、歯向かう者には容赦しない、冷酷なところがあり、これがダビデの悩みの種となりました。ダビデに抑えられて手を下すのを止める時もあれば、早まってダビデが生かしたい人まで殺してしまうこともありました。
最初は、イスラエルの大半を味方にして謀反を起こしたアブサロムは優勢でした。しかし、ダビデの下を離れようとしない家臣たちは、戦に慣れた兵どもでした。ダビデ軍を責めるアブサロム軍の結束力も弱く、惨憺たる目に遭いました。問題は謀反の首謀者、アブサロムの扱いでした。親子関係にあるダビデは、「息子の命だけは勘弁して欲しい」と頼みました。反論はしませんでしたが、「また、甘いことを言って。」と心の中で反発したのはダビデ軍の司令官、ヨアブでした。
アブサロムを見つけ次第、躊躇せずに殺したのはヨアブでした。戦略的に正しい判断だったかもしれませんが、ダビデの意思に背く行為でした。息子の死の知らせを聞いたダビデは手も付けられないほど、取り乱してしまいました。それを見た家臣の信頼を失いそうになったダビデはヨアブに諭され、何とか気を取り戻したが、アブサロムに付いた人たちへの処置も寛大過ぎて、ヨアブの弟のアビシャイとの間に、緊張した場面が続きました。
ダビデは戦人であり、逆立ちしても平和主義者とは言えませんでした。しかし、詩編にあるダビデが書いた詩を読むと、イスラエルの神に導かれた王様の心が、少しずつ近隣諸国の王と違う方向に向かうのが感じられます。32編の最初に書いてあるのは次の言葉です。「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。」ダビデには「赦された罪人」という意識が深く、千年後にダビデの子として生まれたナザレのイエスが教えた「主の祈り」の精神が、いくらかは身についていました。
「私たちの罪をお赦しください。私たちも自分に負い目のある人を皆、赦しますから。」人類が高度な文明を持つようになったはずの21世紀に、未だに戦争の連鎖から抜けられなかったり、80年前に終わった事への怨念を忘れようとしなかったりする人たちが大勢います。人類はいつまでも、いがみ合う、争い合う存在でなければならないのでしょうか。平和な世の中を望む思いは、いつまでも踏みにじられるのでしょうか。
絶対に喧嘩させない、強制力のある、強い権威の下で暮らすのも一つの方法です。残酷極まりないローマ帝国の一つの功績は200年も続く平和で豊かな時代でもあった、「パックス・ロマ―ナ」を作ったことでした。268年も続いた江戸幕府の幕藩体制も良い例になるかもしれません。しかし、そこにあったのは強制された平和であり、今の日本に暮らす私たちが経験しているような自由ではありませんでした。クリスマスに現れた天使たちの讃美に声を合わせたい者です。「地には平和、御心に適う人にあれ。」
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