2025年1月20日 礼拝説教 「アブサロムの謀反」

2025120日 礼拝説教

「アブサロムの謀反」

サムエル記下1425節、151節~6節、10節、13節~14

25節             イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった。

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15章

1節                  その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた。

2節                  アブサロムは朝早く起き、城門への道の傍らに立った。争いがあり、王に裁定を求めに来る者をだれかれなく呼び止めて、その出身地を尋ね、「僕はイスラエル諸部族の一つに属しています」と答えると、

3節                  アブサロムはその人に向かってこう言うことにしていた。「いいか。お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない。」

4節                  アブサロムは、こうも言った。「わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに。」

5節                  また、彼に近づいて礼をする者があれば、手を差し伸べて彼を抱き、口づけした。

6節                  アブサロムは、王に裁定を求めてやって来るイスラエル人すべてにこのようにふるまい、イスラエルの人々の心を盗み取った。

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10節             アブサロムはイスラエルの全部族に密使を送り、角笛の音を合図に、「アブサロムがヘブロンで王となった」と言うように命じた。

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13節             イスラエル人の心はアブサロムに移っているという知らせが、ダビデに届いた。

14節             ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。「直ちに逃れよう。・・・・」

 イスラエル全土の王になる前に、ダビデは近くにある小国、ゲシュルの王と交流を深め、その娘を三番目の妻として迎えました。このお姫様に生まれたのはダビデの三男、アブサロムでした。平民の子供だった兄たちと違って、王族の血を引くアブサロムに洗練された物があり、今の言葉で言うと大変なイケメンでした。妹のタマルも際立って美しい人で、この妹を巡ってアブサロムは腹違いの兄と争うことになり、殺してしまいました。

 時間が過ぎて落ち着きを取り戻したものの、この争いはアブサロムにマイナスに働き、年老いたダビデの後継者に指名される可能性が低くなりました。とはいうものの、アブサロムは恰好がよく、言葉も滑らかで、人当たりの良い人でした。「次の王様にあなたしかいない」とおだてる仲間が増え、以前からうぬぼれの強いアブサロムにも、「こうしてはいられない」と思わせる焦りが高まりました。

 どの国にも、どの集団にも、不平を言う人がいます。すべての理想が叶う国を作ってあげても、人間の曲がった心は必ず、気に入らない何かを探し出します。野心がある人が支持を広げるには、不満を訴える人の声に耳を傾けるだけで十分です。文句を並べる人の話を聞いて大きくうなずき、「あなたの言い分は正しい。」と言うだけで、人気はいくらでも上がります。訴えられたことを解決する力があるかないかは別問題です。聞いてもらった人は嬉しくなり、次の代のリーダーとして期待を寄せて来ます。

 若かった頃のダビデは村八分にされても卑怯なまねを拒み、誠意をもって人の心を射止めました。対照的にアブサロムは父親の裏に回り、姑息な手でイスラエル人の心を盗み取りました。その最中にいるダビデは、野心が見え見えの息子に対してどのように対処したのでしょうか。若い頃は、気が狂い出したサウル王の嫉妬に耐え、じっくりと神様の時を待ちました。立場が逆になっても、ダビデ王は王位にこだわりを見せることなく、自分の身分を神様に委ねていました。

 「主は与え。主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と言ったのは旧約聖書に出て来るヨブでしたが、ダビデ王にも同じような精神が見られます。頂点に上り詰めたとしても、この立場は自分の物ではない。王位を授けた同じ神様が、それを奪うこともできる。奪われても文句の言い様がない。宮殿と神殿があるエルサレムを守って戦うという方法もありました。外国から敵が責めて来たとしたら、命をかけて戦ったことでしょう。しかし、ここで戦になるなら、イスラエル人同士、兄弟同士が戦うことになる。そのような悲劇はどうしても避けたい。そう判断したダビデに残された道は一つしかありませんでした。サウル王から逃れた時のように、都落ちすることでした。

 忠実に仕えたサウル王から受けた理不尽な扱い。扱いに困ったものの、心から愛していた息子の裏切り。勝利の瞬間もたくさんありましたが、ダビデの生涯は最初から最後まで、苦労が付きまとうものでした。それまでに経験したことのない、新しい試練に立ち向かうダビデのその後はどうなったでしょうか。今までと同じように、苦しみの中から神様の救いが表れたでしょうか。次回はアブサロムの謀反の結末を見たいと思います。

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