2024年10月28日 礼拝説教 「槍が飛んで来た」

20241028日 礼拝説教

「槍が飛んで来た」

サムエル記上 1614節~16節、21節、23節、18章5節~11

14節           主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。

15節           サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。

16節           王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」

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21節           ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた・・・

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23節           神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた・・・

18

5節               ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣して勝利を収めた。サウルは彼を戦士の長に任命した。このことは、すべての兵士にも、サウルの家臣にも喜ばれた。

6節               皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。

7節               女たちは楽を奏し、歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」

8節               サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。」

9節               この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。

10節           次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、

11節           ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした。

「鏡よ、鏡よ、国じゅうで一番美しいのはだれか。」「それはあなたですよ、お妃さま。あなたこそ国じゅうでいちばん美しいお方です。」童話が有名になるのは、人間の心について深い真理が秘められているからです。皆様がよく知っている「白雪姫」の話もそうです。ある日、魔法の鏡はいつもと違う答えを出します。「これまで一番美しかったのはあなたでしたが、今は違います。白雪姫です。」お妃の、それからの醜い行動に描かれているのは、人間の心そのものです。

 チンパンジーのボス猿にも、芸能界一のタレントにも、メディアからちやほやされるスポーツ選手にも、必ず、それまでの立場を次の人に譲る時がやって来ます。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」これは人気が下がり始め、皆の注目がイエス様に移ったと伝えられた、バプテスマのヨハネが言った言葉です。

 限られた命しかない人間が作る社会では、新しい人物に注目が移るのは自然の摂理であり、なくてはならないことです。問題は、それまでのリーダーが、それをどう受け止めるかです。後輩が順調に育ち、安心して引退できることを喜ぶでしょうか。それとも、自分の衰えに焦りを感じ、若さに輝く後輩の活躍を恨むのでしょうか。

 サウルは数年前に預言者サムエルから見放され、「神はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた人物に与える。」と告げられました。しかし、王位からすぐに降ろされることなく、サムエルの後ろ盾を失ったものの、王様であることに変わりはありませんでした。続かなかったのは、それまでのカリスマ性であり、聖書は「主の霊がサウルから離れた」という表現を使っています。

本当は臆病で、弱い人間だと自覚していたサウルは、それまでの成功の背景に、神様の特別な力があることを意識していました。恐ろしいことに、すぐ傍に神様がいるという意識が消え、周囲の期待に応えられない自分への不安が、増して行くばかりでした。「預言者サムエルの言う通りだ。イスラエル人の気持ちは自分から離れ始めた。どこからか、自分を倒す人物が現れるに違いない。」毎日、このような思いに悩まされたサウルはついに、心の病になりました。

心の健康な人ほど、他人の成功を喜ぶことができます。うわべではなく、心の底から素直に「おめでとう」と言える人は、心の澄んだ幸せな人です。ここから進むダビデとサウルの物語の目的は、理想的なリーダーの資質を明らかにすることにあります。結論として、多くの人間的な弱さを抱えたダビデが、理想の王様として認められることになります。

   しかし、王位はどのようにしてサウルからダビデに渡るのでしょうか。サウルの心が和らぎ、ダビデに自ら王位を譲るのでしょうか。それとも、ダビデは反旗を翻し、サウルを倒すことになるのでしょうか。これらからの物語を通して、その答えが出ますが、そこから、神様に喜ばれるリーダーの理想像が浮かび上がってきます。

 まずは第一幕として、竪琴を奏で、サウルの心を癒そうとするダビデに向かって槍が飛んできます。王位に就くまでの道は険しそうですが、しばらくは、ダビデと一緒に、その道を歩んでみようと思います。 

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