2024年6月17日 礼拝説教 「イスラエルの神のダゴンとの出会い」

 2024617日 礼拝説教

「イスラエルの神のダゴンとの出会い」

サムエル記上 51節~4節、6節~7節、11節~12節、

621節~71

1節               ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ。

2節               ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた。

3節               翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると、主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れていた。人々はダゴンを持ち上げ、元の場所に据えた。

4節               その翌朝、早く起きてみると、ダゴンはまたも主の箱の前の地面にうつ伏せに倒れていた。しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり、胴体だけが残されていた。

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6節               主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらした。主はアシュドドとその周辺の人々を打って、はれ物を生じさせられた。

7節               アシュドドの人々はこれを見て、言い合った。「イスラエルの神の箱を我々のうちにとどめて置いてはならない。この神の手は我々と我々の神ダゴンの上に災難をもたらす。」

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11節           彼らは人をやってペリシテの領主を全員集め、そして言った。「イスラエルの神の箱を送り返そう。元の所に戻ってもらおう。そうすれば、わたしとわたしの民は殺されはしないだろう。」実際、町全体が死の恐怖に包まれ、神の御手はそこに重くのしかかっていた。

12節           死を免れた人々もはれ物で打たれ、町の叫び声は天にまで達した。

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6

21節           (ベト・シェメシュ)の人々はキルヤト・エアリムの住民に使者を送って言った。「ペリシテ人が主の箱を返してきました。下って来て、主の箱をあなたがたのもとに担ぎ上ってください。」

7

1節               キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。

前回の話の結論は、契約の箱そのものに力がないということでした。大事なのは箱の中にある石板に刻まれた神様との契約であり、イスラエル人にその契約が守られているかどうかでした。戦争で勝たせてくれない、敵に奪われてしまうような箱はどうでも良く、ペリシテ人がそれをどうしたからと言って、特別に何かがあるはずもなかったです。

ところが、ペリシテ人が拝む神、ダゴンが祭られている神殿に運び込まれた途端、恐ろしいことが起き始めました。ダゴンの像が倒れ、うつぶせになったばかりではなく、神殿がある街アシュドドはペストの流行に襲われました。契約の箱を違う街に移しても同じことが起きたので、ペリシテ人はとうとう、牛が引く車に乗せ、イスラエルの街に送り返すことにしました。

ペリシテ人との戦いで、イスラエル人を救う力がなかった契約の箱の眠りが覚め、急に恐ろしい力を発揮たのでしょうか。聖書全体の教えに基づいて言うなら、そのようなことはありませんでした。聖書にあるのは、最初の人間、アダムとエバとの縁が切れてから、縁が完全に回復するまで続く神様と人間の物語です。ストーリーに様々な浮き沈みがあり、先に進むばかりではなく、大きく後退する事もあります。しかし、進むのを止めさせないのが神様の働きで、何もかも終わったかに思えるその時、大きな力強いみ手が動き始めます。

どうしても目に見える物に頼ろうとする人間に、神様が繰り返し教えなければならなかったのは、いくら美しく、立派なものであっても、人の手が作った物も、自然界にある物も、神様だと思って拝んではならないということでした。契約の箱その物に何の力もありませんでした。しかし、ダゴンの神殿に納められ、イスラエルの神がダゴンに降伏したと思われるのは、天地万物の創造者である神様の心には耐えがたいことであり、放っておく訳にはいきませんでした。

更に500年くらい後に書かれた旧約聖書のイザヤ書を読むと、預言者が語った次の言葉が見られます。「ヤハウェである神はこう言われる・・・わたしはヤハウェ、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず、わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。」契約の箱には、契約を守らないイスラエル人を守る効果はありませんでした。しかし、箱の中にある石板に次の言葉が刻まれていました。「あなたには、わたしをおいて、ほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。存在するすべての物の始まりである神様は、十の戒めが入っている契約の箱がペリシテ人の神殿に納められ、ダゴンの像の横に並んでいるのを見たその時、何もしない訳には行きませんでした。

 契約の箱は結局、イスラエル人の手に戻ることになりました。しかし、シロの街に帰ることなく、違う街にいる人たちが管理することになりました。切れそうになった神様との関係は危機一髪で救われました。一連の出来事に衝撃を受けたイスラエル人の心に変化が起きていました。大祭司を失ったイスラエル人は、新しいリーダーの下に集まり、ここからはサムエルの出番となりました。

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