2024年1月22日 礼拝説教 「石の板と金の子牛」

 2024122日 礼拝説教

「石の板と金の子牛」

出エジプト記243節、12節、17節、18節、3118節~324

3節           モーセは戻って、主のすべての言葉と、すべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。

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12節       主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われた。

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17節       主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。

18節       モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。神はこれらすべての言葉を告げられた。

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31

18節       主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。

32

1節           モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、

2節           アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」

3節           民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。

4節           彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。

5節           アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。

噴火に燃え、地震に揺れる神秘の山。十の戒めを告げる雷のような声。「死ぬといけないから近づくな」と注意しながら、山頂と麓を往復して神様の言葉を仲介するモーセ。エジプトからの脱出は奇跡の連続でしたが、シナイ山の麓に来ると奇跡の張本人、ヤハウェの神様がついに正体を表しました。この場所でこれより数年前、燃える柴の中からモーセに呼びかけた神様は、更にドラマチックな形でイスラエルの民全体に語りかけました。

モーセが伝えた言葉を聞き、恐れをなしたイスラエル人は、「わたしたちは主が語られた言葉をすべて行います」と言って固い約束をしました。これほどの体験をすると、そう言わざるを得ないし、記憶がある内は約束を破るはずがないと信じるのも当たり前かと思います。しかし、ユダヤ民族の歴史を記した旧約聖書は、他の国の歴史書のように、自分たちの民族を美化しようとはしはません。旧約聖書を書いた人たちは先祖たちの誤りに正面から向き合い、子孫として同じ過ちに陥ることのないように警告します。

モーセはもう一度、「燃える山に登れ」という指示を受けました。今度は、神様から十の戒めを刻んだ二枚の石板を受け取るためでした。しかし、モーセは山に登った切り、一か月以上も降りて来ませんでした。山頂付近で燃えていた火が消え、モーセもいません。本物と出会ったばかりのイスラエル人は指導者を失い、早くも不安な気持ちに襲われました。

それから彼らが取った行動は、人間の正体をよく表しています。本物が見えなくなり、その本質を伝える指導者を失った彼らは、それに代わる偽物を作ってそれを拝みました。金の子牛の出来栄えは、自慢できるほど立派な物だったでしょう。その姿には、見る人に満足を与え、心にある不安を解消する効果がありました。機嫌を直したイスラエル人は叫びました。「これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ!明日はお祭りだ!」

一見は、馬鹿げたように見えても、現代社会に生きる私たちにも、同じような行動が見られます。金の子牛を作ったイスラエル人の姿には、本物に置き換えた偽物に心が奪われる、人間の姿が見られます。例をあげると、一番わかりやすいのはお金です。文明社会が作り出した、とても便利な発明であるお金には、本質的な価値はありません。

価値があるのは、努力して生み出し、人に有難いと思ってもらえる、物やサービスです。お金はそれらを交換する時に使う、価値基準になる点数のような物で、何も生み出さない社会でお金を稼いでも、使い道がないので意味がありません。ギャンブルの類で稼いだお金は正に偽物です。

マスコミが作り出すヒーローについても同じことが言えます。私たちにとって本当のヒーローは毎日のように誠意を示してくれる家族や、友人や、お世話になっている人たちです。視聴率や売り上げを上げるために作り出されたヒーローはそもそも、私たちと何の関係もない存在であり、画面に映らない彼らの本当の姿は、私たちの目には隠されています。

現代社会には、キャリアが何よりも大事だと教える傾向があります。しかし、一部の例外を除くと、職業はそもそも家族という本物の価値がある物を支える手段に過ぎません。少子化問題の本質にそのことを忘れ、キャリアを初めとする様々な金の子牛を作った現代社会の過ちが見られます。

祭の準備を始めたイスラエル人はこの先、どうなったでしょうか。次回はこの話の続きになります。

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