2023年9月4日 礼拝説教 「大いなる御業を見た」

 202394日 礼拝説教

「大いなる御業を見た」

出エジプト記1415節~16節、21節~23節、27節~28節、31

15節       主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。

16節       杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。

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21節       モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

22節       イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。

23節       エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。

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27節       モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。

28節       水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。

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31節       イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。

エジプトとアラビア半島の間に紅海という海があります。紅海の北側に二つの細長い湾があり、エジプトに近い方のスエズ湾の向こうに、イスラエル人の旅の舞台となるシナイ半島があります。今日の出来事はエジプト本土とシナイ半島の境目にあるスエズ湾で起きました。今になって、スエズ湾から地中海に抜けるのは、154年前に完成したスエズ運河です。

旧約聖書物語の信じられない度ランキングを作るなら、今日のお話は間違いなくランクインするでしょう。普通の常識で言うと、このような事は起きません。しかし、イスラエル人の信仰の前提になっていたのは、ヤハウェが起こした常識外れな出来事であり、固く信じていたからこそ、その教えにしがみつき、忠実に従い続けました。

迫って来るエジプト軍と海に挟まれたイスラエル人の境遇は絶望的でした。モーセは「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」と言ってなだめましたが、モーセにも妙案がなく、相談できる人間もいませんでした。リーダーとして焦りを見せる訳に行かないモーセは、目に見えないお方、ヤハウェに向かって叫びました。

「自立した強い人間は人を当てにしない。最後に頼れるのは自分だけだ。」皆様も、このような言葉を聞いたことがあると思います。聖書も人を頼りにするのは危険だと警告しています。詩編の146篇に次の言葉があります。「君侯(つまり偉い人)に依り頼んではならない。人間には救う力はない。」更に、同じ詩編に次の言葉があります。「いかに幸いなことか、ヤコブ(つまりイスラエル)の神を助けと頼み、主なるその神を待ち望む人。」聖書は本当に強いのは元々強いと自覚している人間ではなく、弱い人間だと知りながら、神様の絶大な力に頼ることを学んだ人間だと教えています。

 神様はここでモーセに「いい加減にしなさい。」と言って喝を入れます。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて、出発させなさい。」出発命令を出せと言われても、目の前にあるのは海で、船も橋もありません。ここで、右往左往するモーセに向かって、神様は最初に出会った時と同じ言葉を与えました。「あなたの手にあるのは何か?羊飼いの杖ではないか。それを海に向かって高く上げ、海を二つに分けなさい。」

 次に起きた事を信じるか信じないかは皆様の自由です。しかし、一個の細胞がお母さんのお腹の中で成長し、一人の人間になって出て来るのもちょっと信じられない話です。地球の生き物を意にも介さない、燃えるガスの塊に過ぎない太陽が光を放ち、地球にある水と空気と協力して光合成を起こすのも、「本当か?」と思わせる不思議な現象です。

 人間にとても大切な真理を教えるために、天地創造の神がこのような一回切りの出来事を起こしたとするなら、それほど無理な話ではないかもしれません。それでも、信じられない人がいると思うので、もう一つの解釈を紹介しましょう。つまり、実際に強い風が吹いて、イスラエル人がスエズ湾を無事に渡り、後を追ったエジプト人が溺れ死んだかどうかどうかは大切なことではない。大切なのは、聖書が伝える奥の深い真理に立つなら、モーセと同じようなピンチに陥った時に迷う必要はないということです。

 「手に持っているのは何か。」「杖です。」「ではそれを高く持ち上げて海に向かって差し伸べなさい。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。」それからどうなるかは十人十色です。「海の中の乾いた所を進める」という共通体験ができるように祈ります。

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