2023年9月25日 礼拝説教 「天からのパン」
2023年9月25日 礼拝説教
「天からのパン」
出エジプト記16章2節~4節、13節~15節、31節、35節
2節
荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。
3節
イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
4節
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。
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13節
夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。
14節
この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。
15節
イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。
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31節
イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。
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35節
イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。
空から食べ物が降って来るのは、海の中を通って渡るのと同じレベルの話で、あり得ない事だと思うかもしれません。しかし、どの時代にも当てはまる真実を伝えるのが出エジプト記で、ここにもすべての人に当てはまる大事なメッセージがあります。出エジプト記の最初のテーマは解放です。つまり、聖書の神様は奴隷や、様々な束縛を受けている人たちを開放することを強調しています。
しかし、ここから始まるのは解放が済んでからの話で、イスラエル人は自由になっています。しかし、自由な人間は自分の力で生活しなければならないので、食べ物を探せないと飢え死にします。エジプトの軍隊から逃れ、自由になったのは良かったです。しかし、行き付いた所に食べ物がなかったので、奴隷生活の辛さを忘れ、エジプトの地が懐かしく思えてきました。
荒野にいるイスラエル人は何度も、神様とモーセに対して不平不満を言うようになります。その不平を聞く神様は、イスラエル人に対して何度も怒りを露わにしますが、見捨てることはしません。ここから、出エジプト記の中心的なメッセージが変わり、聖書の神様は、荒野を渡るご自分の民を養ってくださるという事実を強調します。
信仰が強い人は不当な圧力に屈しないので、結果として生活の手段を失うことがあります。そのような時、信仰がない人は焦って信念を通すのを諦めますが、神様を信じている人は知っています。働きもしない空の鳥を養ってくださる神様は自分を見捨てることはない。贅沢な生活ができなくても、必要な物は必ず与えられる。
イスラエル人が約束の国に入るとマナは降らなくなりました。しかし、新約聖書時代になっても、彼らは荒野にいる先祖たちがマナで養われた事を忘れることなく、彼らの意識に深く刻まれていました。イエス様がわずかなパンと魚で大群衆を満腹させた奇跡を起こした時、イスラエル人の子孫であるユダヤ人は、先祖たちがマナで養われたことを思い出しました。もしかしたらモーセに並ぶ指導者が現れたかと思ってイエス様に尋ねました。「モーセは先祖たちに天からのパンであるマナを与えました。あなたはしるしとして私たちに与えるのは何ですか?」
前の日に起きたパンの奇跡の再現を求められていると悟ったイエス様は答えました。「神のパンは、天から下って来て世界の人たちに命を与える物です。」それを聞いたユダヤ人は「そのパンをいつもください。」と言いました。しかし、イエス様はいたずらにパンの奇跡を繰り返す意思はなく、お腹を満腹させるパンではなく、心の飢え渇きをなくす、目に見えない食べ物の話を始めました。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して渇くこともない。」荒野にいるイスラエル人は切実な問題として食べ物が必要で、神様は常識的に考えられない方法でそれを与えました。しかし、イエス様は、現代に生きる私たちの問題はお腹の空腹ではなく、心の空腹であることをよく知っていました。恐れ多くも、その心の空腹をなくすために天から降りて来たのは食べ物ではなく、自分だと主張しました。何のことかと思うかもしれませんが、イエス様を信じたことのある人にはその意味がわかります。「決して飢えることがなく、渇くこともありません。」
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