2023年9月11日 礼拝説教 「あなたを癒す主」

 2023911日 礼拝説教

「あなたを癒す主」

出エジプト記151節~4節、20節~27

1節           モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。「主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた。

2節           主はわたしの力、わたしの歌、主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。

3節           主こそいくさびと、その名は主。

4節           主はファラオの戦車と軍勢を海に投げ込み、えり抜きの戦士は葦の海に沈んだ。」

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20節       アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。

21節       ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた。」

22節       モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。

23節       マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。

24節       民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。

25節       モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で主は彼に掟と法とを与えられ、またその所で彼を試みて、

26節       言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。

27節       彼らがエリムに着くと、そこには十二の泉があり、七十本のなつめやしが茂っていた。その泉のほとりに彼らは宿営した。

エジプト軍の自滅を見たイスラエル人は、今度こそ自由になったと悟り、歌って踊って大はしゃぎしました。エジプトの戦車を前にして無力だった彼らは、自分たちに代わって戦うヤハウェの神様のすごさに驚き、力を込めてヤハウェをほめたたえました。出エジプト物語の第一部はここで終わります。

次に始まる第二部はエジプトから離れ、荒地が広がるシナイ半島に舞台を移します。イスラエル人はこの荒地を渡り、「広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地」である約束の国を目指す旅に出かけます。しかし、自由になり、目標が定まったとはいうものの、生活が楽になった訳ではありません。自由になった彼らは何度も不平を言い、これが原因で神様に滅ぼされそうになります。

最初の問題は水でした。水がない荒地の旅が三日間も続きました。かつて、シナイ半島で羊の世話をした経験のあるモーセは知っていました。定まったルートは井戸や湧き水がある場所を通ることになっている。いずれは水がある場所に出る。とは言っても、地下水に鉱物がたくさん混じって、ラクダにしか飲めない水もある。その場合はラクダにだけ飲ませ、人間は水筒に残った水で我慢して次の水場を目指す。

知らなかったのは、ナイル川の近くで育ったイスラエル人でした。三日ぶりに水に有り付いたのに飲めないことで気持ちを切らし、モーセに不満をぶつけました。このパターンはその後、何度も繰り返されます。奴隷に自由はないが、指示に従えば良いので、責任を取る必要もありません。この頃のイスラエル人に色濃く残っていたのは奴隷根性であり、欠けていたのは自由人として、自分で問題を解決しようとする意識でした。

 昔の私もそうでしたが、十代の若者は束縛されるのを嫌がります。頭脳も身体も、大人に負けないくらいに成長していて、大人にとって都合の良い時に大人の行動を求められます。しかし、少しでも羽を伸ばそうとすると子供扱いされるので、しばしば悔しい思いをします。ある日になってついに、学校や家庭の束縛から解放され、待ちに待った自由が手に入ります。しかし、これで幸せになるかと思うと、自由の限度がわからないので失敗を繰り返し、不安になったり、落ち込んだりします。

 注意してくれる人がいないので好きなだけ遊び、好きなだけ寝て、気が向いたことしかしない毎日が続くと、少しずつ嫌な気分になります。他の人の束縛から解放された人は自分への束縛、つまり自分を律することができないと、自分で掘った深い穴に落ちて出られなくなり、以前の生活を懐かしく思うようになります。

 神様に示された木を切って投げ込んだら苦い水が甘くなったのはどういうことでしょうか。今の私たちには分かりにくいことですが、「マラ」と呼ばれたこの湧き水は特定されています。スエズから出て三日間歩くと今も塩分濃度が高い水が湧くアイン・ハラワという泉があります。十の戒めはまだ先の話ですが、ここでイスラエル人にいくつかのルールが与えられます。守れば病気にならないという約束があるので、公衆衛生に関わる物だったかもしれません。

「・・・守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたを癒すヤハウェである。」条件付きでしたが、解放に続いてイスラエル人に健康の約束が与えられました。今後はしばらく、自分たちの生活に重ねながら、イスラエル人と一緒に旅を続けたいと思います。

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