2023年10月2日 礼拝説教 「その日に必要な分」
2023年10月2日 礼拝説教
「その日に必要な分」
出エジプト記16章16節~21節
16節
主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」
17節
イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。
18節
しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。
19節
モーセは彼らに、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言ったが、
20節
彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。
21節 そこで、彼らは朝ごとにそれぞれ必要な分を集めた。
皆様はお小遣いを使い切る方ですか。それとも貯めておく方ですか。私は子供の頃から貧乏性で、お金がなくなるのが心配で、なるべく使わないようにしていました。銀行口座に入れておくとそれなりに利息が付く時代だったので、高校を卒業するまで数万円程度の預金残高があるのに満足していたのが記憶にあります。もったいないことをしたかなあと思ったのは大学に行ってからでした。
親の仕送りをもらいながら生活費を管理していたら、それまで貯めていたお金は出費の嵐に消えてなくなりました。仕送りが少し遅れて食べる物がなくなり、ご飯と振りかけで数日耐えることもありました。友だちと付き合うお金がなかったので勉強に専念できたというメリットもありましたが、食べる物に困ることがない親元にいた時、貯金にこだわっていたのが馬鹿らしく思えてきました。中高生の時には我慢しないで、欲しい物を買っておけば良かったと思いました。
先週から始まったマナの話が続いています。この食べ物の不思議な所は空から降って来ることばかりではありませんでした。集めるコツがすぐ身に着いた人もいれば、少し苦労した人もいたでしょうか。少なく集めた人も、多く集めた人も、食べ終わって見ると皆、満腹していて、少しも余りませんでした。それぞれの家族に必要な分だけ行き渡るように神様は配慮してくださいました。
モーセはちゃんとまた降って来るから、次の日まで残さないように指示しました。しかし、そのことが信じられなくて心配になり、食べるのを我慢してマナを残した人たちもいました。その結果、虫がついて臭くなりました。わがままな子供が叱られるようにして大人たちはモーセに責められました。マナは自分の努力で手に入れられない奇跡の食べものでした。次の日にも降ると信じて、手持ちのマナをその日の内に食べ切るのは、神様への信頼の表れでした。
資本主義社会は稼いだお金を使い切らないで、使わなかったお金を投資する人がいたことによって始まりましたが、聖書の時代にそのような余裕のある人は稀でした。イエス様が弟子たちに教えた祈りの中に「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」という言葉があります。「明日のことを心配しなくても良いように、生活の余裕をください」という祈りではありません。信仰を持つことは、明日、どうなるか分からないが、神様は今日、この日に必要な物を与えてくださると信じるところから始まります。
これはお金や食べ物に限ったことではありません。学校や職場に行く内に、人間関係の問題やストレスに耐えられなくなり、このまま続けるのは無理と思う事もあります。このまま何年も続くのかと思うと気が滅入ることもあります。しかし、朝になって、「神様。今日、一日を耐え貫く力をください。」と祈ると、出かけて行って夕方までやり抜く力が不思議と湧いて来るのを、何度も経験したことがあります。
私たちに約束されているのも、必要としているのも、今日、この一日のマナであり、今日、この一日を生き抜く力です。定期試験も終わって新しい学びの時が始まりましたが、このことを信じて精一杯の努力して行きたいと思います。
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